青砥稿花紅彩画 序幕 初瀬寺花見の場

白浪五人男 序幕

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目次

役名

  • 信田小太郎 実は弁天小僧菊之助 (しだのこたろう じつはべんてんこぞうきくのすけ)
  • 奴駒平 実は南郷力丸 (やっここまへい じつはなんごうりきまる)
  • 忠信利平 (ただのぶりへい)
  • 赤星十三郎 (あかぼしじゅうざぶろう)
  • 赤星頼母 (たのも)
  • 千原主膳 (ちはらしゅぜん)
  • 薩島典蔵(さつしまてんぞう)
  • 小山の息女千寿姫(せんじゅひめ)

序幕 : 初瀬寺花見の場

僧尼一

ときに頓念坊や、今日このようにやかましゅう言うて、掃除をするはお屋敷の参詣でもあるのか。

僧尼二

ある段じゃあないわえ。小山の判官様の姫君千寿姫様の御参詣、それで聞かっしゃれ、まだお年は行かぬげなが、そのお許嫁の信田家の息子殿小太郎様とかが死なしゃったとやらで、今日この初瀬寺で御供養があるということだ。

僧尼三

ははあ、それでこのように掃除をするのじゃの。おれも噂に聞いたがその小太郎様の親御左衛門様とやらは、北条光時様の謀叛に荷担をしたとや で、お家が断絶したのじゃないか。

僧尼四

私もその話は聞いているが、何でその息子殿の小太郎様が死んだのじゃの。

僧尼二

さればさ、どういうことやら知らぬが、それで今日御参詣の姫君様が、まだ祝言なされぬけれど許嫁というところでこれからは後家を立てるということだが、何とおしいものではないか。

僧尼一

その千寿様がこの初瀬の観音様が御信心とは、これがほんの千手観音様というのじゃ。

僧尼四

何を言わっしゃる。

僧尼二

ときに、もう掃除もようできたから、程なくお入りに間もあるまい、御宝前の飾りつけをしょうじゃないか。

僧尼三

そうじゃそうじゃ、又お師匠様に叱られぬよう、

僧尼二

早く行こうじゃあるまいか。

四人

さあ、行きましょう。

典蔵

お乗物立てませい。

皆々

はああ。

典蔵

姫君当初瀬寺へ今日の御参詣は、大殿小山判官公三ヶ年以前御他界のあらせられ、三回忌の御仏事、

大八

まった姫君の御許嫁(おいいなずけ)信田の小太郎殿、家断絶のその後はお行方知れず 、他国に於いて死せしとの風聞、それ故にこそ姫君様には菩提(ぼだい)のために当寺のために当寺へ御参詣、

主膳

それ故にこそ信田家より当家へ遣わしおかれる胡蝶の香合、これを宝前へなおし、仏事供養の御修行を行われたき思(おぼ)し立ち、

左近

まだお年若の御身にて、先殿(せんとの)様の御追福、まった許嫁の小太郎様死去ありしとお聞き遊ばし、御神妙なる御供養、恐れながらお心の内お察し申げまする。

女一

姫君様のお心はしおれておいで遊ばすに、今を盛りの桜の色どき、ちと御覧遊ばして、お気鬱をお晴らしなされませ。

女二

名にし負う花の名所、この初瀬寺の桜の盛りをお眺め遊ばしますれば、お気もほぐれましょうほどに、お勧め申すがよろしゅうござりましょう。

女三

左様でござりまする、お許嫁の小太郎様お行方知れぬをお案じなさるは、 御尤(ごもっと)もでござりますれど、花物言わねどお心の開くも桜の花盛り、

大八

千本(ちもと)の桜と名にし負う吉野の花も劣らぬ盛り、仏の庭も花盛りには、何さま天女も天下る見事なことではござらぬか。

侍一

いやも、無骨者なる拙者でも心和らぐ桜の色香、月雪花ともてあそぶ風雅人は悦ぶ筈でござるわえ。

女四

その色香ある花盛りに、千寿様には明け暮れにお許嫁の事のみを、ほんにお憂い遊ばして、お胸も開かぬ海棠の、

女五

雨にしおるるお姿を、お見上げ申すが御笑止で、

女六

仇に散り行く遠山桜、仏いじりを遊ばすとは、

女七

大慈大慈(だいじだいじ)の御身の上、花の姿を徒(いたづら)に、

女八

花に暴風(あらし)と世の諺、

女九

浮世の花は散るが慣い、

女十

又私等は、この花の盛りを眺めて、目元が桜になりたいわいなあ。

女い

その桜よりまたひとしお、花より団子の横串で、眺めながらもこよなき楽しみ、

女ろ

見えばるよりも頬(ほお)ばるたとえ、慈姑(くわい)の煮付けきぬかつぎ、器量のよいは茹(ゆ)で玉子

女十

香りゆかしき桜餅、お籠に入れしお土産は、お泊まり番のお茶菓子に沢山取って参じましょう。

左近

これはしたりそのような事を、何はともあれ姫君には、お駕籠の中にてあまりのお気鬱、

女一

これへお出で遊ばして、仏の庭の花盛り、

典蔵

いざ御遊覧、

皆々

遊ばされましょう。

千寿

明日は又いかに眺めん散り果てぬ、今日だに辛き花の梢を。

典蔵

姫君にはさぞかし御気鬱、この花盛りを御覧遊ばすも時の一興、

主膳

暫時この所へ御座を据えられ、ちとお気をお晴らしなされましょう。

左近

木々にも花咲く弥生の中空(なかぞら)、あまりお沈み遊ばしては却って心も開かぬ道理、四方(よも)の景色をお眺め遊ばしたがよろしゅうござりまする。

千寿

皆の者が心遣い嬉しゅう思うわいの。自らが心の中には桜の盛りもこの身の仇花、許嫁せし小太郎様まことにこの世においでがなくば、この黒髪をそぎ尼と、菩提をとむらう尼法師、眺める花はないわいのう。

典蔵

これはまた如何(いかが)いたした儀でござりまする、ややともすれば尼にになるの黒染めのと、そりゃ悪い御合点でござりまする。 予々(かねがね)拙者も申す如く、いまだ婚姻もなされず盃もせぬ小太郎殿、ないむかしと思し召さば、死去なされても構わぬこと、御再縁なとなるるが、こりゃ当世と申すものでござる。

大八

左様でござる、殊に信田(しだ)の左衛門は北条光時の謀叛に荷担し、ついに時頼公のお咎め蒙(こうむ)り家は断絶、その罪によって左衛門には切腹なし、子息小太郎殿はその砌(みぎり)より行方知れず、定めて何処ぞをへちもうて、十が九つのたれ死に、

侍一

そのような生死(しょうじ)も知れぬ浪人者に、操をお立てなされずと、当時威勢盛んの三浦家の若殿、良村殿が予々(かねがね)の御執心、

侍二

三浦家へ御再縁なさるのが上分別、それが親御判官様への御孝養と申すもの、

典蔵

姫君ここをようお聞きなされ、先殿判官様御死去されしよりその後(のち)は、三浦殿の御後見、そのままお家の立ってあるのも皆泰村(やすむら)殿のお蔭、なりゃ姫君が良村殿へ御再縁なさるれば、お家は万代不易(ばんだいふえき)と申すもの、こりゃ御思案なされずばなりますまい。

主膳

あいや薩島氏、姫君の御剃髪(ていはつ)をおとどめなさるは聞こえましたが、御再縁をお勧めなさるるは、ちとその意を得ぬかと存じまする。

大八

お家のためを思う典蔵殿、その意を得ぬとは如何(いか)なる仔細で。

主膳

さればでござる、信田の家の断絶致せしも、こりゃ皆讒者(ざんしゃ)の所為(しわざ)、殊に御子息小太郎殿死せしと申す確かな証跡とてもござらねば、再縁は相成りますまい。

大八

たとえ無事でおらるるとも、謀叛に与(くみ)せし天下の科人(とがにん)、その罪人(つみんど)と緑組なさば小山のお家へ疑いかかり、如何なるお祟り受きょうも知れぬ。それを知りつつ縁組を願わっしゃるは、小山の家の不吉というもの。

主膳

左様ではござらねど、操を破って再縁なすは、女子の道が相立ち申さぬ。

典蔵

然らば操は立つにもせよ、お家の行く末お構いなきか。

主膳

そうではござらねど。

典蔵

横合いからいらざる口出し、重役を勤むる薩島典藏、貴殿如きの指図を受きょうや、言葉が過ぎる、控えてござれ。

主膳

むう。

左近

あいや典蔵様、そりゃ言葉が違いましょう、善悪ともに御主人の心に こんにち不忠の第一だ。今日は先君の御追福、その儀は後しての御沙汰がよろしゅうござりましょう。

大八

ええ、生若輩の身を以って、控えてござれ。

千寿

ああこれ、双方とも争い無用、兎にも角にも自らは浮世を捨てて、尼法師、仏へ立てしこの身の誓い、心は決しているわいのう。

女一

その儀は篤(とく)と御思案の遊ばされ、及ばずながら私どもも、

女二

またよいお話しもござりましょうほどに、そのようにきなきな思し召さずとも、何かのことは御帰館の上、

女三

最早御法会(ほうえ)の刻限に間もござりますまい。

女四

なるほど、御参詣がよろしゅうござりましょう。

典蔵

何さま、最前よりよほどの間、

大八

私事ならぬ大殿様年回の御供養、

主膳

まず観世音の宝前へ、小太郎殿より送られし胡蝶の香合(こうごう)、

千寿

早う供えてたもいのう。

典蔵

何はしかれ、姫君には、

左近

観世音の宝前へ、

千寿

そんなら、皆の者、

典蔵

先ず、

皆々

いらせられましょう。

侍一

典藏様、

典蔵

これ。

侍一

予(かね)て同心の我々へ、密々のお話とは、

侍二

いかがな仔細にござりまする。

典蔵

その仔細は余の儀でござらぬ。何(いず)れも、あたりへ心を。

両人

心得ました。

典蔵

この度当家の一家(いっけ)たる三浦泰村様には、予々(かねがね)謀叛の企てありて、 北条時頼を亡ぼして鎌倉の執権(しっけん)たらんとの巧み、一味の者も多き中(うち)にこの典蔵を片腕と頼むとのこと、何(いず)れもがたもそれがしとは同心のことなれば、この一儀成就なせば小山の家を押領(おうりょう)なさん我が巧み、

大八

まった千寿姫は、三浦の子息良村殿の奥方と定めなば、政事を預かる執権の縁者の縁者同然この上もなき立身出世、それに就いてもただ邪魔になるは、忠義立てする千原親子、何ぞれかぞれ罪をこしらえ、亡き者にするよいエ夫はござるまいか。仔細というはこの儀でござる。

侍一

初めて承った三浦家の大望、某(それがし)とても貴所へ一味の我々なれば、この上とも心を合わせ、御荷担の仕(つかまつ)るでござりましょう。

侍二

かく一味なす上は、典蔵殿の仰せの通り、何かにつけて邪魔になる千原親子、どうかいい工夫がありそうなものだ。

大八

おっとお待ちなされ、こういう妙計がござる。 今ここへ主膳めが落としておいたこの扇を、種に使って一つの手だて。

侍一

そりゃどういう魂胆でござるか。

大八

かようでござる。今日の法会に宝前へ供えおいたる胡蝶の香合、預かり役は千原主膳、折を伺い奪い取りその処(ところ)へこの扇を落としておいて証拠となし、柄に柄をすげて追い出す魂胆、この工夫はいかがでござろう。

典蔵

さすがは浮島大八殿、あっぱれ妙計おどろき入った。

侍一

こりゃ手短で上分別、然らばこれより宝前へ、心を付けるでござろう。

侍二

あの香合をせしめるとは、悪い事にはよい智慧が出るものでござるな。

典蔵

まだ密々に申し談する一儀もあれば、何かは奥の別殿にて、

侍一

善は急げと申すれば、我々二人は香合の一段、

大八

必ずともにぬからぬよう、

侍二

よい吉左右(きっそう)は、またたくうち、

典蔵

然らばこれより、

三人

御同伴仕ろう。

十三

人の心も開くという花の頃とは言いながら、あ賑わしいことじゃなあ。唄いつ舞いつ世にある人はそれそれに楽しみのあるそのうちに、それとは引
き替え私が身は、御主君信田の左衛門様には御切腹、また若殿にはお行方
しれず、浪々をして活計(たっき)にせまり、一銭二銭の合力(こうりょく)受けその日を送る身の果敢(はか)なさ、世の盛衰とは言いながら、昨日の錦は今日の襤褸(つづれ)、あ三日見ぬ間に桜じゃなあ。

十三

それへおいでなされまするは、伯父者人(おじじゃひと)ではござりませぬか。

頼母

おお、誰かと思えば十三郎か。

十三

して、今日はどれへおいでなされまするな。

頼母

されば聞きやれ、今朝より所々方々と用事を足しに歩きしが、とんと用が足りぬ故ほとんど当惑いたしておるのじゃ。

十三

それは定めて御心配でござろう、してその御用向きとおっしゃりまするは。

頼母

それに就きそちに頼みたき仔細もあれど、ここは途中、あれへまいって何かの仔細を、

十三

左様ならば伯父者人、

頼母

さあ、まいろう。

十三

して、仔細と申しまするは、何事でござりまする。

頼母

さあ、様子というは別儀でない、其方も知っての通り、三浦泰村が讒言によって御主君には御切腹、家国とても召し上げられ主家来とも皆散々(ちりぢり)、某とてもその砌後室様を伴い申し、浪人の身のよるべなく、かすかな煙をたつるうち、後室様には昨年より御苦労なされしたたまりが、気病みとなって長のいたつき、このほどにては行臥(ぎょうが)も自由にならざる大病、貧苦の中にも色々に医療を尽くせど、なかなか本復思いもよらず、この病を治するには、高金の薬を用いねば全快なすことかなわぬとの医者の言葉、高金なればとて金子でお命取りとまらば、どうぞ薬を求めたいと思えど、身貧な今の身の上、

十三

そうして、高金とおっしゃりまするその金額は、どの位でござりまする。

頼母

さればさ、百両なければ得難き良薬、金がなくては現在のお主様を見殺しにせねばならず、とあって金の才覚は出来ず、この頼母が心の苦しさ、推量いたしてくれいやい。

十三

あなたのためにもお主様なりゃ、私がためにも大事のお主、せめてこの身が女ならその金額にならずとも、仕様もようもあろうもの、というて大まいのその金が。もし伯父者人、そのように御苦労を遊ばすと、あなたもお身体にさわりまする。後室様が御病気の上、ひょっとあなたでも煩(わずろ)うて御覧(ろう)じませ、何といたしようがござりましょう。一寸延びれば尋(ひろ)とやら申しますれば、どうかいたしたら出来ぬこともござりますまいから、精一ぱい私が働いて見まするほどに、もうもうお案じなされぬがよろしゅうござりまする。

頼母

そんなら何と申す、その金をそちが都合いたすと申すか。

十三

ちと心あたりもござりますれば、あちこちと歩きましたことなら、出来ぬこともござりますまい。

頼母

あ、よう言うてくれた。なるほどこれが親(しん)はなきより、出来ぬまでもそのように言うてくれれば少しは胸も開くであろう。無理なことを頼むようなれど、心あたりがあるとなれば、何分にも頼んだぞよ。

十三

よろしゅうござりまする。身を粉に砕いてこしらえてお目にかけまする。

頼母

そんなら、よい吉左右(きっそう)を待っているぞや。

十三

きっとお返事申しまする。

頼母

そんなら、十三、

十三

伯父者人、

頼母

また逢うであろう。

十三

お静かにおいでなされませ。あ、お窶(やつ)れなさるも御尤も、貧苦の上に大まいの金の才覚、しかし伯父者人のお心の休まるよう、あのように受け合ったものの、貯えもなき今の身の上、どうぞして調えてあげたいものじゃが、何をいうても大まい百両。おお、それそれ切ない時の神頼みとやら、観音様へお願い申し一心に願籠めしたら、 またよい智慧を貸して下さりょうも知れぬ。どれどれ参詣して来ようか。

女一

もうし姫君様、油断のならぬこの時節、唯今御堂の裏手にて、 何かひそひそ話し声、様子を聞けば典蔵様の指図にて、大八殿を頼みこの胡蝶の
香を盗み出さん彼等が巧み、憎さも憎しと思えども、この香合さえ手元 を放さねば気づかいはござりませぬ。 あなたしっかりと御懐中なさりませ。

千寿

おお柵(しがらみ)よう心が付きました。 この身に替えぬ大事な香合、そんなら妾(わらわ)がしっかりと懐中しますわいの。

女一

必ず人手にお渡し遊ばしまするな。

千寿

合点じゃわいのう。

女二

これは姫君様、これにお越しでござりましたか。何と柵殿よい景色ではござりませぬか。ちとこの舞台で眺望を御覧じませいなあ。

女三

鎌倉山の星月夜、名所古跡が手に取るように見えますわいなあ。

千寿

ほんに、よい眺めじゃわいのう。

女四

もうし姫君様御覧じませ、向こうに小さく見えますが金沢の能見堂、あのまあ入海を御覧じませ、とんと泉水のようでござりますわいなあ。

女五

ほんにきれいなことでござりますわいなあ。

女六

おおきれいきれい、向こうに見ゆるが江の島弁天様、こちらに見ゆるが鶴ケ岡の八幡様、向こうに見ゆるがおらんだ、ふざんかい。

女七

ええも何を言わしゃんすぞいな、私にもちっと見せて下さんせ。

女六

まあまあ、もうちっと見せて下さんせ。

女七

私に見せて下さんせいなあ。ほんにまあ近く見ゆることわいなあ、あれあれ横浜がみえますわいなあ、こちらに見ゆるが神奈川の台で、あれまあお茶屋のうちで大勢が酒盛りをしていますわいなあ。 あれ、拳を打って、おやまあ流行におくれた藤八拳でさ。もしもしちょっとお合をいたしましょう。

女八

もしもし、いくら大きい声をしても、聞こえることではござんせぬわいな。私にもちっと見せて下さんせ。

女七

さあさあ御覧遊ばせ、どんなに面白いことでござりますわいなあ。

女八

あれあれ御覧じませ、いろいろな人が向こうから来ますわいなあ、よい男を手に取るように見たいものじゃわいな。

女八

あれあれ、今度はほんとうのよい男が見えますぞえ。

女九

どれどれ、私にお見せ遊ばせ。おやおやまいりますぞえ、まいりますぞえ、 お姫様も皆様も御覧じ遊ばせ、御覧じ遊ばせ。

皆々

どっちの方へまいりますぞいなあ。

女九

あれあれ向こうの方からこちらをさしてまいりますぞえ、もしもし早
う来て御覧なさりませ。 あれあれ段々近くなりますわいなあ。

弁天

あ咲いたわ咲いたわ、実に金花の奇峰霞の裏に現るると、唐土人(もろこしびと)の連ねしもかくやらん、歌人想いを労し、画人は筆をなやます風景、はて面白の眺めじゃなあ。

南郷

何さま、これが花が花見るとか申すのでござりましょう。

女一

奴さん、お前にちと御無心があるわいなあ。

南郷

なに、奴に無心とは、そりゃ何でござるな。

女二

あの外のことでもござりませぬが、お前の旦那様は何処(いずく)のお方様で、

女一

お名はなんと、

両人

おっしゃりますえ。

南郷

なに、おらが旦那の名か、いや、こりゃあどうも言うわけにゃあいかねえ。

女二

私等じゃとてお武家の御奉公、蓮葉(はすは)に人には言わぬほどに、どうぞ教えて下させ。

両人

お頼みじゃわいなあ。

南郷

いいわ、そういうことなら極内々だが、あなたはお家没落なされた信田の左衛門様の御子息小太郎様というお方じゃ。

両人

えええええ

女一

そんなら明け暮れお姫様が、お慕い遊ばす、

女二

お許嫁の小太郎様でござりますかいなあ。

南郷

これこれ何と言っしゃる、それじゃああれにおいで遊ばすは、小山の姫君様か、そいつは大変だ。もしもしお二人様内々にして下され。

弁天

こりゃ駒平駒平。

南郷

ねいねい。

弁天

其方は、それに何をいたしおる。

南郷

ねい。ものでござりまする。

弁天

何といたした。

南郷

これは斯様でござります、唯今あのお方に当月の御遷座は下寺か御本坊か承っておるところでござりまする。

弁天

何を申す、観世音に御遷座と申すことがあるものか、たわけたことを申すわえ、ははははは。あまり見事な桜の盛りに、思わぬ時刻をうつし申した、どりゃ参詣をいたそうか。

南郷

どりゃ、おれもお供をいたそうか。

女一

もしもしちょっとお頼みがござんすいなあ。

南郷

何だ、また頼みか、今旦那様が御参詣なされたから、お供をしにゃあ
ならねえ。

女一

まあまあそうでもあろうが、ちょっと下にいて下さんせ。

南郷

そんなら、早く言って下せえ。

女二

その訳はこうでござんすわいなあ。

南郷

どういう訳だ、気が急くわえ。

女二

あれにおいで遊ばす姫君様のお許嫁が、お前の旦那様の小太郎様、実は今日までお行方を尋ねておいでなされしが、お行方知れぬその時は、尼になろうとおっしゃる故、

女一

そこがお前の働きで、その事情を申し上げ、いずれ後日にお身の上が
固まるにせい、今日のところはお言葉なりと下さるよう、

両人

お執り成ししてくださんせいなあ。

南郷

どうしてどうしておらが旦那は、お年はお若いがおそろしい物堅いお生まれつきだ。そんなことを言い出したら、直にお目玉だ。そりゃあいけねえいけねえ。

両人

そうでもあろうが、そこをどうぞ。

南郷

そればっかりは、こっちが詫(あやま)りだ。

両人

私等二人を助けると思うて、

女一

どうぞお取り持ちをして、

両人

下さんせいなあ。

南郷

こいつあとんだ所へひっかかったわえ、それほどに言わっしゃるなら、今ここへおいでなされたら言い出しては見ようが、とてもうんとは言うまいが、どうかいい思案がありそうなものだ。あるある、こうだ、今ここへ旦那が来て、おれが言い出すと、そりゃ物堅い旦那だから、ならぬというだろう、そうしたらお姫様が九寸五か短刀で死のうというだろう、所で何で死ぬというと、旦那様に逢われぬから死ぬといえば、なんぼ物堅い旦那でも、人の命を助けるのだから、これじゃあ御承知なさらずばなるまいが、この仕事はどうであろう。

女一

なるほど、これはよい思案でござんすわいなぁ。

女二

もうしお姫様、この奴殿が殿様へお言葉下しおかれますよう、お取り次ぎいたすと申せば、まあお悦び遊ばしませ。

千寿

忘れはおかぬ、嬉しいわいのう。

南郷

それはよろしゅうござりますが、今の短刀を忘れてはなりませぬぞ。

千寿

その短刀とやらは、どうするのじゃぞいのう。

女一

もしもし奴さん、骨折りついでに姫君様に、ちょっと教えてあげて下さんせ。

女二

ほんに、それがよいわいなあ。

南郷

そんなら私が稽古をするのか、これは迷惑なことだ。もしお姫様、こうでござります、今旦那様が見えまして、私がいろいろ申しまして聞き入れませぬ時は、こういうのでござります、「あなたに逢われぬその時は」、

千寿

あなたに逢われぬその時は、

南郷

「生きながらえて詮ないこの身」、

千寿

生きながらえて詮ないこの身、

南郷

「いっそこの場で」、

千寿

いっそこの場で、

南郷

「南無阿弥陀仏」と、刀へ手をかけるのでござります。

千寿

南無阿弥陀仏と、刀へ手をかけるのでござります。

南郷

もしもし、南無阿弥陀仏までがせりふでござります。

女一

お姫様よろしゅうござりますか。

女二

必ず南無阿弥陀仏をお忘れなされまするな。

千寿

どうやら難しいことじゃわいのう。

南郷

何であろうと、やって御覧じませ。

南郷

これはこれは旦那様、もう御参詣なされましたか、だいぶお早いことでござりました。

弁天

最早参詣もいたしたれば、帰宅仕ろう。

南郷

いえ、ちょっとお待ち下さりませ。

弁天

身共に待てと申すか。

南郷

へい、少々あなたにお目にかけたい物がござります故、これへちょっとおかけなされて下さりませ。

南郷

そのお目にかけたいと申すのは、このお方様でござりまする。

千寿

小太郎様、御機嫌よろしゅうござりますか。

弁天

なに拙者を小太郎、私は、そのようなものではござらぬわいの。

千寿

いえいえお隠し遊ばしまするな、よう聞いて存じておりますわいな。

弁天

なに聞いたとは、そんなら駒平、そちがこの身の素性をば、

南郷

へい、ついしゃべりましてござりまする。

弁天

聞いたとあれば包んで詮なし、いかにも信田の小太郎じゃが、浮世を忍ぶ日陰の身の上、必ずともに人に沙汰ばししたもうな。

南郷

さて、旦那様ちと申し難い儀ではござりまするが、これにおいでの姫君様は、小山の御息女千寿姫様、予々あなたのお許嫁と申すこと、世間晴れての御縁組は、それは公然(おもてむき)でござりましょうが、今日不思議にお出会いなされし、尽きぬ御縁のその証拠に、どうぞお言葉下さるよう、へいへいお願い申し上げまする。

弁天

だまれ。

南郷

お姫様の御心ゆかし、またこの奴めも男が立ちますれば、

弁天

だまれ。

南郷

御承知なされて下さりましょうならば、ねいねい有難う、

弁天

ええ、だまりおらぬか。

南郷

ねい。

弁天

女中は女中とも思おうが、同じように其方までが、たしなみおろうぞ。

女一

すりゃ、どのように申しましても、

女二

御得心は、

両人

ござりませぬか。

千寿

はああ。

弁天

許嫁はなしたれど、こりゃ親々が内証事、今この所で言葉交わさば双方の親に済まぬ。今は日陰の身なれども、一度父の汚名も晴れなば家再興をいたさんと、心を砕くこの小太郎、この儀ばかりは千寿殿、思いとまってくださりませ。

千寿

そうじゃ、

腰元

まあまあお待ちなされませ。

弁天

こりゃ千寿殿には早まって、こりゃ何と召さるる。

千寿

さあ、やさしいお言葉なき上は、覚悟はとうから決めておりますわいなあ。

南郷

もしもし旦那様、あなたが何とかおっしゃらぬと、直に死ぬとおっしゃりまする。

弁天

それじゃというて、これがどうして、

そんなら姫君を見殺しになされますか。

弁天

そうではなけれど、

腰元

御得心下されまするか。

弁天

さあ、それは、

腰元

見殺しになされまするか。

弁天

さあ、

腰元

さあ、

皆々

さあ、さあ、さあ、

千寿

どうぞ死なして下さりませいなあ。

弁天

むむ、得心したわいの。

皆々

そんなら、御得心でござりまするか

弁天

おいのう 。

南郷

やれ嬉しや、やっと直ができたわえ。

女一

折悪しゅう地内の参詣、人目を忍ぶ御身故、

女二

先ず取り敢えずこの奥にて、お供申して何かのお話し、

弁天

然らばともども、

南郷

さあ、ござりませ。

やれやれ奴さん、大きに骨折りでござんしたな。

南郷

あれほどに願ってあれば、まんざら他人というではなし、お言葉位はかかるであろう。

女三

鬼のいぬ中洗濯で、この間にちょっと奥山で羽を延ばして来ようかいな。

南郷

私もこの中ちょんの間で、裏門の酒屋へ行って矢大臣と出かけようか。

皆々

そんなら駒平さん、

南郷

どりゃ、行て来ましょうか。

侍二

やい素丁稚(すでっち)め、わりゃあ面に似合わぬ大盗人だな。

侍一

宝前へ供えたる回向料の百両を盗みひろいだ昼とんびめ。

十三

そりゃ何をおっしゃりまする、そのような覚えはござりませぬ。

典蔵

うぬ憎い奴だぞよ、武士たるものをわりゃ盲目にいたそうと思うか、汝が盗みひろいだを見届けておいたのだ。

十三

それでも覚えはござりませぬ。

大八

そう強情を吐かしおれば、こうして白状さして見せるわ。

典蔵

大八殿懐中を改めさっしゃい。

大八

心得ました。

大八

うぬ太い若衆めだ、これほど持ってうせながら、包み隠す横道者め、以後の見せしめこうしてくれるわ。

侍二

そんなことじゃあ腹がいぬわ。

侍二

まだまだ腹の癒るように、こうこうこう。

十三

ままあお待ち下さりませ。何れも様のお腹の立つは御尤もでござりまする。これにはいろいろ様子のあることでござりまする。 かく盗みをいたしましたも、私欲でないという申し訳、何をお隠し申しましょう、元私も武士の果て浪々なして貧苦の世渡り、一人の親が長の煩い、この四五日は九死一生、どうぞ命が助けたいとの高い薬の代(しろ)、求めようにもでだてはなし、心にもなき貧の盗み。何れも様、親の命が助けたいばっかり故、お許しなされて下さりませ。やや、こりゃ御主人の御紋をば、土足にかけてござる。

典蔵

なに、主人の紋付、この雪笹の紋付はまぎれもなき信田の定紋、これを主人とぬかすからは、信田に由縁の浪人だな。

十三

まったくもって、

典蔵

いいやそうだ、主人はその身の悪事から家は没落、そのまた家来は浪浪の活計(たつき)が無きに盗みをひろぐ、主(しゅう)が主なら家来まで、信田に由縁(ゆかり)とあるからは、なお以って助けおかれぬ。それへなおれ、うぬ真っ二つにいたしてくれん。

大八

あいや薩島(さつしま)氏、お待ちなされ、かく虫けら同然のものをお手にかけるは刀の穢れ、この場は助けておやりなされい。

典蔵

それじゃと申して、憎い奴、

大八

でもござろうが、命を取って益なき奴、まずまずお助けなされたがよくござる。

典蔵

いいや、了簡罷りならぬ。

大八

いやさ、拙者も了簡がござれば、まずまず。 それそれ身がお詫び言を申すから、早く行け行け。

十三

はい、有難うござりまする。

典蔵

いいや、討ち果たさねば腹が癒ぬわえ。

大八

これはしたり、拙者の計らう仔細もござれば。

大八

な、それ、まずまずこの場は助けておやりなされたがよかろうと存じまする。

典蔵

何さま、助け難い奴ながら大八殿の扱い、今日は了簡いたすぞ。以後はきっとたしなみおろう。

侍二

然らばお助けなさるとおっしゃるか。

侍一

ああ命冥加な小奴めだ。

大八

まず薩島氏、唯今のお話しもござれば、この場は見捨ててお越しなされ。

典蔵

いかさま、別当方(かた)にて、暫時休息仕ろう。

三人

左様ござらば典蔵様、

典蔵

とは言え、にっくき、

大八

はて、お越しなされと申すに。

頼母

こりゃ、やい十三、 唯今これへまいりかかり、始終の様子は残らず聞きしが、ありゃ何のざまだ。盗みひろいで金子をば調える位なら、何しにおのれにたのもうや、殊更御主人のお名まで出す憎い奴、こりゃおのれが恥辱で御主人のお顔を汚す人非人めが。こりゃ、身にはそぼろを纏えども心は汚さぬ赤星頼母、最早伯父甥の縁も今日限り、言おうようなき人外(じんがい)めが。

十三

さささ、お腹の立つは御尤もでござりまするが、道ならぬとは知りながら、あなた様の御苦労を見るに忍びずかくのしだら、伯父者人のお耳に入り、面目もなき今日の仕儀、

頼母

ええくどくど申すな、聞く耳ないわえ。

十三

でもござろうが、そこをどうぞ、

頼母

ええ、言葉交わすも穢らしいわえ。

十三

伯父者人、お許しなされて下さりませ。 この身の科とは言いながら、浪人なせど侍が土足にかけられ打ち打擲、じっと堪ゆるこの身の切なさ、何を言うにも後室様のご大病、今一応金調えお主の命を取り留めねば、伯父者人への言い訳立たず、もしも金の出来ぬ時は、死ぬより外に思案はない。命を捨ててこの身の潔白、これを思えばたとえの通り、金が敵の世の中じゃなあ。

大八

すりゃ、あれなる出茶屋の内に千寿姫と小太郎めが、

侍二

唯今あの家の裏手より、 とくと様子を見届けました。

典蔵

しかと相違ござらぬか。

侍二

女中も一緒にいるようなれど、何でも怪しき様子でござる。

典蔵

いっそ踏ん込み、様子を探らん。

両人

心得ました。

大八

やや、二人がいると思いのほか、ややややや。

忠信

いやなに何れも、何意趣あってあれなる一間へ、土足で踏ん込みめされた、浪人なせど身共も武士、仮令(たとえ)一時半時でも借りた座敷は武士の城、無礼を働く各々方、刀を帯せし役なれば、命は身共が申し受けたぞ。

皆々

やあやあ。

典蔵

して、そこもとは何のお方でござるな。

忠信

身共は武芸修行の者が宿りと定めなく、諸国を回る武者修行、この鎌倉へはるばると知る辺(べ)を求め逗留中、保養がてらに初瀬寺へ参詣いたし帰り途(みち)、あれなる茶店で休息をいたす所へ無作法千万、何で狼藉めさるのだ。

南郷

さあ、それは、

忠信

但し、御存意あってのことか。

南郷

さあ、それは、

忠信

さあ、

南郷

さあ、

皆々

さあ、さあ、さあ

忠信

御返答が承りたい。

典蔵

これはこれは左様のお方とはいささか存ぜず、あれなる仁が無骨の振舞い、武士は相身互いと申せば御了簡の下さらば大慶に存じまする。

大八

左様でござる、貴殿があの座敷においでと存ずれば、何しに斯様なことを働きましょう。

侍二

心得ませぬ我々が不調法、

侍一

何卒唯今のことはこの場限り、御宥免(ゆうめん)下さらば、

両人

有難う存じまする。

忠信

いいや了簡罷りならぬ、身共があれにおらぬ時は、いかが召さる御所存だ、後日に至りこの事が朋友どもへ聞こえては、剣道修行の身がすたり。
この場面の面ばれ真剣の勝負をこれにて仕ろう。

大八

いやもう何とお詫びを申そうやら、殊に拙者どもは、今日は主人の供先、斯様な間違いがござりますると実に皆扶持の食い上げと申すもの、あわれ御勘弁を以ちまして、まことにはやこれは失礼と申しましょうか、 失敬と申しましょうか、甚だ差しつけがましゅうござれども、この品を御受納下されて、御勘弁のほどを願いまする。

忠信

いやさお侍、こりゃあ何でござる、いやさこりゃあ何だ。金銭に目をくれる非義非道な侍じゃと思わっしゃるか、穢らわしいこの金子、きりきり持って行かっせえ。

侍一

恐れ入った儀でござりますれど、どうかお納め下されて

侍二

この場のことは御内分に

大八

お腹立ちの段は至極尤もでござるが、情けは人のためならずとか申せば、御不承の段はこの通り両腰帯した者が犬つくばい。

侍一

どうぞ御了簡のほど、

侍二

ひたすら願い

三人

あげまする。

忠信

それほどに仰せられるを聞き入れぬも、本意でもござるまいかえ。

侍三

へいへい、御勘弁を下されまするか。

忠信

了簡ならぬところなれど、何れも方の挨拶といい、今日のところは了簡の致すでござろう。

大八

それははや有難い儀で、

三人

ござりまする。

侍二

然らば、それなる金子をば、

忠信

この金子も受けるのではなけれども、何れものお心入り、殊にただこの場を相済ましては其許たちのきばもたたぬと申すもの。

三人

仰せの通りでござりまする。

忠信

また、身共が金子を返したとて、受け取りもさっしゃるまい。

三人

その通りでござりまする。

忠信

不承なれども受納いたす、以後はきっと慎みめされ。

三人

有難うござりまする。

忠信

ああ思わぬ事によほどの暇入り、最早夕頃(ゆうけい)にも相なれば、観世音へ参詣の仕りましょう。そこにござるお待、この後かような事のないよう、若侍に言いつけさっせえ、どりゃ参詣いたそうか。

三人

典蔵様、

典蔵

いやはや、何のことだか訳が分からぬわえ、これが犬骨折って鷹とや
ら、あんまり役が悪すぎるわえ。

大八

いつでも初手がうま過ぎると、こう言う目に遭うやつだ。

侍二

何でも姫と小太郎に違いはねえが、

侍一

どうしてあんなけだものと入れ替わったか。

侍三

但しは迷いの空目とやらか。

典蔵

何を言わっしゃる。 こういたそう、このまんなおしに別当方にて酒といたそうか。

大八

なるほど、それがよろしゅうござろう。

両人

いざ、御同道仕ろう。

典蔵

さ、お越しなされ。

女二

お付き申せし私どもまで、あなたのお言葉下さりまして、

千寿

有難うぞんじまする。

弁天

それにつけても危うきは、既にそちが家来の者に見咎められるそのところへ、最前の浪人がこうこうせいと指図に任せ、危うい難儀を脱れましたわいの。

千寿

これもやっぱり観音様のお助けでがなござりましょう。この香合は、あなたがいつぞや送られ品なれど、今日の仏事に宝前へ供えしが、心よからぬ典藏が目をかくるとの腰元が知らせ、それ故妾が所持なせば、替わらぬ印にこの品は、あなたへお預け申しましょう。

弁天

なるほど、私がしっかりと預かりましょう。

南郷

これはこれは御両所様、これにお渡りなされましたか。最前よりもうお迎いにまいろうかと存じましたれど、こちらから急きますもあまり心がござりませぬ故、唯今まで控えておりました。もう夕景でござりますれば、御帰宅がよろしゅうござりましょう。

弁天

なるほど、最早暮れるに間もあるまい、千寿殿また逢いますぞや。

千寿

許嫁とは言いながら、当時日陰の御身の上に、またいつ逢うか知れぬ
身の上、道に欠けたることながら、どうぞお慈悲に自らを一緒にお連れ
なされて下さりませ。

弁天

これはまた何を申さるる。どうしてまあそなたを連れて。

千寿

いえいえお連れなされて下さらずば、やっぱりここで死にまする。

弁天

これはまた迷惑千万なことじゃ。

女二

あれほどにおっしゃること故、もしこのまま間違いでもあった時は御不為(ごふため)故、いっそあなたと御一緒に、お連れなされて下さりませ。

弁天

それじゃと申して、

南郷

後は下郎が引き受けますれば、さあ、御同道なされませ。

千寿

そんなら行てもだいじないかや。

南郷

悪いと申してどうなるものでござりまする。

弁天

そういうことなら道ならねど、身共が忍び仮住居へ、

南郷

障りのないうち少しも早く、

千寿

後はそちを頼んだぞや。

女二

直お館へ戻りまする。

弁天

さあ、おじゃ。

南郷

今小影から様子を見るに、情けごかしに浪人が、あの典藏めがしてやった
回向料の百両を、あののもののとこじつけて強請りとったるあの浪人、ただならぬ面魂、まだ山内にいる様子、逢った上にて何かのことを、むむそうだそうだ。

女一

先刻よりよほどの間、

女三

あれへまいって姫君様を、

女一

やや、内には姫も小太郎様もお見えなされませぬ。

女三

なに、見えぬとは、一円合点が行かぬわいな。

女四

お見えなされぬとあるからは、別当方かお山の内、

女五

私どもが手分けして

女六

お尋ね申してまいりましょう。

皆々

そんなら左様いたしましょう。

皆々

お姫様いのういのう。

典蔵

いやなに千原氏、 唯今も宝前にて申す如く、供えおいたる胡蝶の香合、まった回向料の百両、両様とも紛失いたして、貴殿には何としようと思わ
るる。

主膳

別に思案もござらねど、御堂の内にて紛失なせしあの香合、とくと吟味の仕り、尋ね出して申し訳の仕る。

左近

まった回向料の百両も、預かり役は拙者なれば、日ならず詮議仕出して、
この身の潔白立てる所存。

大八

こりゃとぼけさっしゃるな御両所、唯今あれなる宝前をとくと吟味いた せしに、落ち散りあったこの扇子、こりゃ主膳殿、貴殿の扇でござろうが。

主膳

いかにも拙者が扇子でござる。

大八

主膳殿、きりきりと白状さっせえ。

主膳

なに、拙者に白状しろとは。

大八

とぼけきっしゃるな。 今日観音の宝前へは供養読経終わるまで、方丈所化のそのほかは出入りを許さぬに、落ち散りありし貴殿の扇、回向料の
百両も香合の在所(ありか)も真直に、ここで白状さっしゃれば、拙者も武士だ、事穏便に済ましてやるわ。要らざるしらをきらっしゃれば、御後見たる三浦家へ申し上ぐれば表沙汰、貴殿親子は扶持の食いあげ。それのみならず盗賊の罪に行い縛り首。いやさこの首が飛びますぞや。何と何れも、人は見かけによらぬものでござる。

侍一

左様でござる。証拠をその場へ残すとは、天の許さぬところでござる。

左近

仮令(たとえ)扇があるにもせよ、身に覚えなき金の疑い。

主膳

こりゃまた主膳に意趣あるものが、香合を奪い某を罪に陥さん巧計よな。

典蔵

これさ主膳殿、仮令お手前が覚えなくとも、あの香合の預かり役は貴殿ではござらぬか。紛失せしとばかりにて、言い訳が立つと思わっしゃるか。

主膳

まった、左様では、

大八

また百両の回向料も、仮令盗人に取らりょうとも、おのれが役目の怠りと申すものだ、御両所ともに潔白の相立つまで、屋敷へ帰宅は相なりますまい。忠義忠義と鼻にかけ、人を見下げる罰があたって、

侍二

親子揃って、預かりの品を取らるるうっそりどの、

侍三

屋敷へも帰られぬとは、はて、笑止なことで、

皆々

ござるわえ。

典蔵

いやなに、それにおらるる柵殿、今承れば姫君千寿さまには、かいくれお行方が知れぬとな。

女一

どれへおいで遊ばせしかお行方知れませぬ故、心配いたしておりまする。

典蔵

いやさ、知れぬで事が済もうと思うか。 これというのも其方どもが一つ穴の狐とやらだ、どこぞの穴へ引きずり込み、人を化かした古狐、これ と申すもおのれがなしたる所為(しわざ)だ。この趣を逐一に三浦家へ言上なし、後のお祟り待っておろうぞ。ありゃもう入相、いやなに何れも、最早帰宅仕ろう。

大八

なにさま、それがよろしゅうござろう。

侍二

拙者どもも御同伴りましょう。

典蔵

その身の落度と言いながら、揃いも揃ったうっそりどの、見れば見るほど惨めなざまだ、むむははははは。どりゃ参りましょう。

女一

主膳様、こりゃ何といたしたらよろしゅうござりましょう。

主膳

これと申すも皆典蔵めが巧みの罠、みすみすそれとは知りながら、役目の落度に無念をばじっと堪えておったれど、捨ておき難きは姫の身の上、

女一

それ故にこそ私も太い苦労をいたしまする。何卒あなたのご思案にて、この場のことの納まるよう御賢慮のほど主膳様、お願い申し上げまする。

主膳

またお話しも仕るでござろうほどに、なにかは当寺の方丈方にて、まずそれまでは各々方には、必ず他首は相なりませぬぞ。

女一

心得ましてござりまする。

主膳

何はともあれ、 方丈方へ、

女一

左様なれば主膳様、お待ち申しておりまする。

主膳

こりゃ左近、血相変えて何れへ行く。

左近

さ、この身の落度と言いながら、武士たるものに悪口雑言、引っとらえて典蔵めを。

主膳

心の急くは尤もなれど、 身共が思う仔細もあれば、急く所ではない、まあまあ待った。

左近

それじゃと申して、

主膳

待てと申さば、まあまあ待った。

左近

親人さま、してあなたの御思案はな。

主膳

お家を狙う侫人(ねいじん)ども、この主膳をば罪に陥し、亡きものにせん彼等が巧み、事あらだてなばお家の瑕瑾(かきん)、もしも香合の出ぬ時は、年よったれど心は金鉄、悪者どもを切って捨て、その言い訳は身共が皺腹(しわばら)、

左近

え、

主膳

いやさ、死は一旦にして易しとやら、兎にも角にも香合の詮議、

左近

さはさりながら、悪人が巧みと知りつつ生けおいては、

主膳

それも身共がこの胸に、

左近

して又この場の納まりは、

主膳

方丈方にて万事窃かに、

左近

とはいえ、みすみす、

主膳

はて、参れと申すに、

忠信

こいつあとっぷり暮れたわえ。おお月が上がったか、昼の花とは事替わりまた夜桜は格別だ。この初瀬寺の桜の盛り、花見がてらにぶらぶらと、犬も歩けば棒とやら、思わずさっき手に入った回向料のこの百両、物した物を濡れ手で粟、こういううめえ仕事があるから、この生業(しょうばい)は止められねえなあ。

南郷

ああもし、ちょっとお待ち下さりませ。

忠信

なに、待てとは拙者がことかな。

南郷

へい、左様でござりまする。

忠信

何ぞ用ばしござるかな。

南郷

いえ別儀でもござりませぬが、私めは先刻あなた様が危うい難儀をお助け下されました、信田の小太郎が部下でござりますが、そのお礼を申しにまいりましてござりまする。

忠信

何の何の武士たる者は、人の難儀を助けるがこりゃ両腰帯せし役目で
ござる、その礼には及び申さぬ。

南郷

それに就きまして、ちと折入ってあなた様にお願いがござりまする。

忠信

なに、身共に願いとは。

南郷

外のことでもござりませぬが、唯今も人を助けるが刀の役目とおっしゃりましたが、最前あなたが取らしゃった回向料のあの百両、

忠信

や、

南郷

さ、その金が紛失故、小山の家の重役が難儀を受けておりますれば、
どうぞ返してやって下さりませぬか。

忠信

むむ、すりゃ、あの金を返せというのか。

南郷

左様でござりまする。

忠信

これ、べらぼうなことを吐かすなえ。折角おれが手に入ったこの金を、そんならそうかと直素直に手前にやってつまるものかえ。これ、おれをただの浪人だと思っているか、今東海道で隠れのねえ日本駄右衛門が手下だわ。

南郷

なんと

忠信

こんな仕事は幾度か、然しこの春早々からまとめた仕事もなかったが、今日が初音の包み金、忠信利平が懐へ入ったからは金輪際、取られるものなら取って見ろ。

南郷

そう盗人としらばけにぶちまけりゃあ尚のこと、こう言い出してまんざらに、指をくわえちゃあ引っ込めねえ。おれも唯の奴だと甘口に見られちゃあ先祖へ済まねえ。さ尋常に渡してしまえ。

忠信

うぬらに渡してなるものかえ。

南郷

いいや、おれが取って見せるわ。

忠信

見事汝が、

南郷

おんでもないこと、

忠信

なにを

南郷

どろぼうめ。

ひょうし 幕

その2へ続く。

参考文献

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