役名
- 日本駄右衛門 (にっぽんだえもん)
- 浜松屋幸兵衛 (はままつやこうべえ)
- 南郷力丸 (なんごうりきまる)
- 早瀬の息女お浪実は弁天小僧菊之助 (はやせのそくじょおなみじつはべんてんこぞうきくのすけ)
- 幸兵衛倅宗之助 (こうべえせがれそうのすけ)
- 番頭与九郎 (ばんとうよくろう)
- 佐兵衛 (さへえ)
- 太助 (たすけ)
- 手下、丁稚等
二幕目 : 奥座敷の場
男所帯のことなれば、お酌とても倅(せがれ)ばかり、不束(ふつつか)の段はお許しくださりませ。
いや、丁寧なる馳走にあずかり、千万(せんばん)かたじけのうござるて。
お燗(かん)のよいので旦那様、も一つお過ごしなされませ。
身共深くは飲(た)べぬゆえ、最早(もはや)納盃(のうはい)にしてくだされい。
まだよろしいではござりませぬか。
いやいや、これより過ごすと帰宅が苦労じゃ。
さようなれば、私で御納盃といたしまする。
いかい馳走になり申した。
へい、唯今おっしゃりました品々を、包みましてござりまする。
ああよしよし、こりゃお供の衆へ御飯(ごぜん)を上げてくりゃれ。
かしこまりました。
いや、これは粗相(そそう)な品でござりますが、お宿元(やどもと)へお土産に差し上げますでござりまする。
御亭主、これは何でござるな。
お恥ずかしゅうござりますが、先刻のお礼までに。
志は受けまするが、この品々はおもどし申す。
すりゃ、なにゆえでござります。
はて、かような礼を受けようとて、身共いたせしことではない。身が屋敷の名を騙(かた)り憎き奴ゆえ見るに忍びず、口出しいたせしまでのこと、なにゆえ礼を受けようぞ、かならず無用にいたしてくりゃれ。
さようではござりましょうが、百両という金子(きんす)をば騙られませぬは、あなたのおかげ、
お礼のいたしようもござりましょうが、さしあたってのことゆえに、あり合わせの呉服物、
是非ともお納め下されねば、どうも心が済みませぬ。
むむ、心が済まぬとあるならば、いかにも礼を受けるであろうが、とてものことに某(それがし)が望みの品を貫いたい。
よう仰せられてくださりました、お望みの品は何なりとも、
お羽織地かお袴地か、思し召しのその品を、仰せ聞けられ下さりませ。
近頃勝手なことながら、申してもよかろうかな。
よろしいだんではござりませぬ。
して、あなた様のお望みは、
申し兼ねたいことながら、とても礼に下さるなら、金子でお貰い申したい。
これは心附かぬことでござりました。こりゃこりゃ倅(せがれ)、水引かけて熨斗(のし)を添え、
かしこまりました。
あいや御亭主、金子なら包むにおよばぬ、箱のまま有銭(ありがね)残らず所望したい。
なんとおっしゃる。
さ、刀にかけて貰い申すぞ。
ええ。
頭(かしら)、まんまと、
首尾(しゅび)よく。
これ、表裏(おもてうら)の締りはいいか。
あい、錠(じょう)をおろして出入りを留め、家中(うちじゅう)のこらず縛りました。
さては玉島逸当(たましまいっとう)どのも、
騙(かた)りと一つ仲間であったか。
知らぬこととて。
ややややや。
こりゃ、弥蔵(やぞう)源吾(げんご)はそいつらを台所へくくしおき、逃げざるように張り番いたせ。
かしこまりました。
かならず手荒きことをするな。
おおい。
最前よりの言葉の端(はし)、まさしく頭(かしら)の様子なれば、もしや噂のそこもとが、
いま海内(かいだい)に隠れのねえ日本駄右衛門とは、おれがことだ。
ええ。
駿遠三(すんえんざん)から美濃尾張(みのおわり)、江州(ごうしゅう)きって子供にまでその名を知られた義賊の張本(ちょうぼん)、天に替わって窮民(きゅうみん)を救うというもおこがましいが、ちっと違った盗人(ぬすびと)で、小前の者の家へ入らず、千と二千有金(ありがね)のあるを見込んで盗み取り、箱を砕いて包みから難儀な者に施すゆえ、すこしは天の恵みもあるが、探偵(づき)がまわってこれまでと覚悟を信濃の大難(だいなん)も、遁(のが)れて越路(こしじ)出羽(でわ)奥州(おうしゅう)、積もる悪事も筑紫潟(つくしがた)、およそ日本六十余州盗みに入らぬ国もなく、誰言うとなく日本と肩名に呼ぼるる頭株(かしらかぶ)、二人を玉に暮合(くれあい)からまんまと首尾も宵の中、時刻を計った今夜の仕事、あり金残らず出さっせい。
かくなる上は是非におよばぬ、唯今金子を差し上げまする。さあこれをお持ちくださりませ。
なに、持って行けとは千両か。
ここらあたりで名代(なだい)の呉服屋、三箱とあてて来た仕事、
かくさず金を出してしまえ。
なにを包み隠しましょう、昨日仕入(しいれ)に京都へ上(のぼ)せ、唯今宅にはこればかり、
ないと言うなら仕方がねえ、惨(むご)い殺生せにゃあならぬ。
ああもうし盗人どの、殺さにゃならぬことならば私を殺してくださりませ。大切(だいじ)の大切の義理ある父様(ととさま)どうぞ助けてくだきりませ。ここの道理を聞きわけて、私を殺して父様をどうぞ助けてくださりませ。もし、こちらのお人、今の事情(わけ)ゆえお前からお頭様へ願うてくだされ、お頼み申しまする、お頼み申しまする。それでは、どうぞお前からこの執成(とりなし)をしてくだされ、おがみまする、おがみまする。
ええ、やかましいやい。
いかに無慈悲(むじひ)の盗人(ぬすびと)でも、あんまり情を知らぬ人たち、どうでも父様は殺されぬ。さあさあ、早う私(わし)を殺して早う私を殺して。
おおいい覚悟だ、望みどおり、汝(われ)からさきへ殺してやろうわ。
ああもうし、どうぞ待ってくだされ。倅が義理ある親を庇えば私もまた義理ある倅、殺されぬは同じこと、駄右衛門どのは盗賊でも義強(ぎづよ)いお人と聞くゆえに、倅が命を助けねばならぬ事情を一通りお聞きなされてくださりませ。なにを隠そう私は、三十路を越すに一子なく、どうがなしてと初瀬寺(はせでら)の観世音(かんぜおん)へ祈誓(きせい)をかけ、はからず一子を儲けしゆえ、それで大師のもうし子と、毎月欠かさず夫婦とも御縁日に倅を抱き、お礼に通夜をいたしましたが、忘れもせぬ十七年あと、しかも九月の十七日、御堂(みどう)の内に喧嘩があって、右往左往に逃げるはずみ、妻が粗相(そそう)で我児(わがこ)を失い、あたりを見れば泣きいる幼児(おさなご)それを我児と思い違え、騒ぎの紛れよう紛れようと戻って見れば知らぬ幼児、不憫にそのまま捨てもならず、我児の替わりと育つるうちにも、いずくの誰が倅なるか、証拠なければ諸所方々(しょしょほうぼう)尋ねさがせど我児とも、ついにそれなり知れぬゆえ、そのまま育てしこの倅、月日は経てど明暮(あけくれ)にどこにどうしていおるぞと、失う倅を忘れねば定めてこれが実親も子を思う身は同じこと、さぞや案じておりましょう。どういうことで明日が日に尋ねて来まいものでもない、その時金に命を替え殺しましたと言われましようか、金は世界の湧物にて、今日失うても明日また出来まいものでもござりませぬが、取られた命は返りませぬ。このまま店を仕舞えばとて、金は残らず上げましょう、倅の命はこの訳ゆえ、助けてくだされ駄右衛門どの、どうぞ聞き分けてくださりませ。
おお、いかにも命は助けてやろう。
そのかわりには残りの金、
つつみかくさず出してしまえ。
なるほど、この身代(しんだい)でわずか千両(ひとはこ)、御疑念もさることながら、最前も申せし通り、荷物仕入のそのために多くの金子を京へ上(のぼ)せ、家にはわずか残り千両、実もってこればかり。かよう申して御胡乱(ごうろん)なら、家捜しをさっしゃるとも、それにてもお心済まずば是非におよばぬ、幸兵衛を切って倅を助けてくだされ。私が身は厭わねど義理ある倅は殺されぬ、こればっかりが今際(いまわ)のお願い、慈悲じゃ情じゃ駄右衛門どの、どうぞ聞き届けてやってくださりませ。
いや、その御心配にはおよび申さぬ。もはや金子も申し受けまい。
ええ、そはまた何ゆえ、
仔細は唯今申さんが、十七年あと初瀬寺で取り違えたる幼児の衣類のうちに垢附(あかつ)きし、三つ亀甲(ぎっこう)の紋附きし黒地の袖に継布(はぎ)はござらぬか。
いかにも袖の継合(はぎあ)せに三つ亀甲の紋附きし黒羽二重()がござりました。それ倅、下着の袖をお目にかけよ。
はっ。これぞ実父の定紋(じょうもん)に、下着に継いでこの年月肌身はなさず着ておりまする。
幸兵衛どの、これ御覧くだされい。
や、駄右衛門どのの紋所、
寸分違わぬ三つ亀甲、
もしや、こなたは宗之助が、
面目ないが、親でござる。
え、そんならお前が、
親子であったか、えええええ。
現在倅が十七年、育てられたる家とも知らず、盗みに入るのみなるか、殺害なさんとなしたる大罪、まっぴら御免くださりませ。あ、思い出せばその折は、身貧(みひん)に迫り妻におくれ、養いかねて初瀬寺の通夜を幸い御堂(おどう)の中、慈悲ある人に拾われなば行末とてもよかろうと、捨てるほどでも親の欲、誰が拾うかと子のほとり去り兼ねたるを見咎(みとが)められ、やれ棄児(すてご)よと言わるるを、喧嘩の体(てい)にもてなして、跡をくらましそのままに暫く都に足を留め、ついに賊党(ぞくと)のなかに入り憂き年月を送るうちも、いま其許(そこもと)の言わるるごとく、十七年がその間、寝た間も忘れはいたしませぬ。
そんならお前が、実の父様(ととさま)でござりましたか。おなつかしゅうござりまする。
して、その許(もと)には捨てしのみ、わが児を連れては行かれぬか。
さ、捨てるほどゆえ存ぜぬが、その夜は近郷(きんごう)近在(きんざい)より参詣(さんけい)なせば何国(いずれ)へか、他国へ連れて行きしならん。倅が受けし御恩送りに、いずれ何国(いずく)にござるとも、尋ねさがして進ぜましょうが、なんぞ子息にこれぞという証拠のものはござらぬか。
べつに証拠もござらぬが、その折腰(おりこし)にさげたる巾着布(きんちゃくきれ)は赤地の鴛鴦布(おしどりぎれ)、内に入れたるその品は初瀬の御影(みえい)に臍緒書(ほぞのおがき)、「寛文(かんぶん)元年(がんねん)癸卯(みずのとう)四月二十日亥(い)の時の誕生幸兵衛倅幸吉」と書きしるしてござりまする。
寛文元年卯の年は、今年でちょうど十七年、さすれば倅とおなじ年、
その鴛鴦布(おしどりぎれ)の巾着は、もしやこれではござりませぬか。
まことにこれぞ、覚えの巾着、
そんなら、お前が、
その幸吉でござります。
や、
さては倅であったるか。
親父様でござりますか。ああ面目ない面目ない。
してまあそちは、この年まで何処(いずこ)で人になったるか。
その事情(いりわけ)は力丸が脱れぬ仲ゆえ一通り、私が替わって話しましょう。
そんならこなたも、脱れぬ仲とか。
さあ、その夜御堂(よおどう)で幸吉を拾って来たは私(わし)が親父、六右衛門という漁夫(りょうし)だが、観音様が信心で、毎月かかさず南郷から十七日にお通夜のお篭(こも)り、倅というも唯一人丁度弟(おとと)のほしい最中(さいちゅう)、そのまま育てているうちに岩本院から望まれて、器量のよさに寺小姓、忘れもせぬあの時は、おぬしが十二の年であった。
それから島で窮屈な勤めが厭さにぐれはじめ、とうとう、彼処(あすこ)にいられなく、弁天小僧と肩書(かたがき)に言わるるようになったのも、もとはと言やあ乳(ち)兄弟いっしょに育った力丸が、悪い遊びを見習ってこんな身体になったと言い条、やっぱり私(わし)が生れ付き悪い性根があったゆえ、人を恨むところもねえ、この身から出た錆刀(さびがたな) 、始終(しじゅう)はお上の手にかかり親に憂き目を見せるのも、これは定まる業だとあきらめ、どうぞ許してくださりませ。
なにを許すの許さぬのと、盗人するも商人するも、持って生まれたその身の一生、
思いまわせば十七年、大恩受けしこの家へ、
神ならぬ身の露知らず、
あぶねえ白刃(しらは)の夜働き、
霜の命を取らるるところ、
身の言訳からこのように、
別れ程(ほど)経(へ)し親と子が、
名乗り合うたる今日もまた、
月はかわれど十七日、
枯れたる木々も花の咲く、
これも薩埵(さった)の導引(みちびき)なるか。
不思議な出会いで、
あったよなあ。
思いがけなくこのように、名乗って見れば親子兄弟つながる縁にこなた衆へこの千両を進ぜるほどに、今からさっぱり盗みをやめ、まことの人になってくだされ。
お志(こころざし)は忝(かたじけな)いが、この身を始め二人とも、やめようと言ってやめられぬは、およそ手下も千人あまり、これ等のために本心に立ち返っても旧悪(きゅうあく)にいつかはかかる天の網、首級(しゅきゅう)を野末(のずえ)にさらすまでは、やめることのならざる身の上、
五人の者が召し捕られ、お仕置受けると聞いたなら、そのときこそは親子の誼(よしみ)、未練なことを言うようだが、後の回向(えこう)をたのみます。
そんなら、命のあるうちは、
生涯盗みの夜働き、畳の上では死なれませぬ。
ああ、情ない、
ことじゃなあ。
こりゃ倅、我は真実の親ながら、東西知らぬそのうちに捨てるほどの無得心、親と思うな親ではないぞ。十七年がそのあいだ手塩にかけて育てられし幸兵衛どのが親なるぞ。現在実子はありながらお世話のできぬ身の上ゆえ、幸吉どのになり替わり、よう孝行をつくしましょうぞ。
はっ、仰せまでもござりませぬ。産みの親よりまさりし御恩、孝行せいでなんとしましょう。
むむ、その心を忘るるな。
死んでも忘れはいたしませぬ。
でかした倅、それでこそ賊(ぞく)の胤(たね)とも言われまい。
これ倅聞いたか、そちもまた手下となれば子も同然、駄右衛門どのを親と思い、かならず孝行忘るるな。
そりゃあ私(わっち)もその心、実子にかわって今日からは、命にかけて孝行します。
そんならそちも真実に、
孝行しにゃあ義理がすまねえ。
ああ、孝行をしてえ時分に親はなしと、二人と違っておれなざあ、死んだ親父やお袋に不孝に不孝を尽くしたが、今のを聞いて面目ねえ。
世に盗人は非義非道、鬼畜のように言うけれど、
こうして見れば素人よりはるかにまさった仁義の道、さだめて以前は由ある生まれ。
いかにも昔は遠州にて、鎗をも突かせし郷士の果て。してまた貴殿の身の上は。
なにを隠そうその以前は、小禄(しょうろく)ながら小山(こやま)の家中(かちゅう)、仔細あって浪人なし、大小捨てて町家(ちょうか)の交わり唯今にてはこのごとく何不足なく暮らせども、町人にて果つること本意ならねばこのほどより、なにとぞ帰参の願わんと、伝手(つて)をもとめて摘みしところ、一つの功を立てよとある仔細といえば先達(せんだって)紛失(ふんじつ)なせし胡蝶(こちょう)の香合(こうごう)、詮議(せんぎ)しだして差し上げなばそれを功に御赦免と、聞くより諸方(しょほう)詮議いたせど、今に何の手がかりなく宝の行方知れざれば、しょせんこの身の願いもかなわず、一生かかる商人にて朽ち果つる我が無念、駄右衛門どの御推量くだされ。
そんなら以前は小山の家中で、その宝ゆえそれほど苦労を、知らぬこととて。
え。
とんだことをしたなあ。
もし頭、逃げにゃあならねえ、仕度をしなせえ。
なに、ふけにゃあならねえとは。
ここの家から訴人(そにん)をして、捕手(とりて)の衆が今に来やすよ。
なに、この家のうちから訴人せしとは、
たしか、番頭の与九郎とやら、
さては、彼めが、や、お前は店へおいでのお客、そんならやっぱり、
おれが手下だ。
ほんに、お前が誂(あつら)えし五枚の小袖ができました。
これぞ五人が物好きのまさかの時の晴小袖、
折よくできしはこれ幸い、
赤星、忠信もろともに、
五人そろうて花々しく、
群がる捕手(とりて)を切りちらし、
ひとまずここを落ちのびん。
や、かすかにきこゆるあの太鼓は、
われを取り巻く合図なるか。
おきゃあがれ。迷児でござりやす。
しかし、捕手(とりて)でないこそ幸い、
この家(や)へ難儀のかからぬうち、
どろぼうどろぼう。
さようなれば駄右衛門どの、
幸兵衛どの、
随分まめで、
かならず達者で。
鶯(うぐいす)のかいこの中のほととぎす、
子で子にあらぬ、
義理合いに、
しがらむ縁の、
いつかは縄目(なわめ)、
あ、子は三界(がい)の、ああ鶴亀々々。
ひょうし 幕
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