役名
- 日本駄右衛門 (にっぽんだえもん)
- 南郷力丸 (なんごうりきまる)
- 弁天小僧菊之助 (べんてんこぞうきくのすけ)
- 番頭与九郎
- 道具屋市郎兵衛 (いちろべえ)
- 青砥藤綱(あおとふじつな)
- 千原左近
- 浜松屋宗之助
- 狼の悪次郎(あくじろう)
- その他
三幕目 大詰 : 極楽寺山門の場

軍八(ぐんぱち)どの。



これ。かねて申し合わせし通り、この極楽寺の山門に今四海(しかい)に名の高き盗賊の首領、日本駄右衛門隠れ住むよし、



彼が手下の悪次郎という者の、訴人(そにん)によってたしかに聞く、



それゆえにこそ我々ども、藤網公の仰せを受け、あるいは蕎麦屋玉子売、思い思いの商人(あきんど)でたち、



このほとりを徘徊なすも、取り逃がさぬよう固めの我々、



風を喰(くら)わぬそのうちに、今宵(こよい)召し捕る手くばり万端、かならずともにぬかりめさるな。



こころえ申した。



弁天じゃあねえか。



おお、南郷か。



ときに、手前(てめえ)がいつか騙った胡蝶の香合は、まだ知れねえか。



さあ、あの香合を尋ねだして、小山(こやま)の屋敷へ返さねえじゃあ、親父へ対してすまねえから、いつか五人がわかれたとき、手前と一緒に箱根まで行きゃあ行ったが気になるゆえ、取って返して二月(ふたつき)越(ご)し、行方を捜すがまだ知れねえ。



それゆえおれもともどもに、また鎌倉へ帰って来たが、聞きゃあ利平が主(しゅう)だという赤星十三が売ったそうだな。



そりゃあいつか稲瀬川で、闇に出逢ったその時に、金と間違え拾ったを故主(こしゅう)へ貢ぐ人参代(にんじんだい)に売ったそうだが、それからそれと道具屋仲間へだんだん渡り、今じゃあ誰が持っているか、尋ねたいにも日蔭(ひかげ)の身の上、どうか手蔓(てづる)を聞きてえものだ。



手前のことゆえおれまでも、尋ねているがどこにあるやら、知れぬ時にゃあ知れねえものだ。



それにひきかえ極楽寺に、頭が忍んでいることを青砥(あおと)様が知った様子だ。



そりゃあたしか、狼の悪次郎めが訴人をしたのだ。



むむ、すりゃあの野郎が言附(いいつ)けたのか。



おのが悪事を脱れようと、言附口(いいつけぐち)をしやあがるとほんに卑怯な奴じゃあねえか。



それじゃあ、何日(いつ)が何日(いつ)までも、うかうかしちゃあいられねえ。



ずいぶん手前(てめえ)もうれた顔、見られぬように気をつけろ。



夜(よ)に人らにゃあ歩きあしねえ。



それじゃあ弁天、



兄貴たのむよ。



合点(がってん)だ。



ああ思い出せばこの身の悪事、日外(いつぞや)信濃(しなの)で小太郎が瘧(おこり)になやむを締め殺し、そこからふっと悪心で小山の姫を勾引(かどわか)し、宝を取り上げ命を捨てさせ、現在親の家とも知らず、いつぞや騙りに行ったとき話に聞けば親父が故主(こしゅう)、姫はもとより小太郎もつながる縁のお主筋、いわばこの身は主殺(しゅうごろ)し、二十五までは生きられぬ短い命を捨てたとて、その言訳にならねえゆえ、盗んだ胡蝶の香合を尋ね求めて小山家へ、それを渡して命を捨て、身の言訳の十分一故主へお詫びをする心、詮議(せんぎ)きびしい身の上に、どうぞ宝の手に入るまで、天よりかかる網の目を逃れてえものだなあ。



道具屋の市郎兵衛さん、そう強情を言わずと待ってくだせえ。



ええしつこい、待たれぬと言うに、女乞食(おんなこじき)を見るように、うっとうしい、附けなさんな。



附くなと言っても附けにゃならぬ。



これ与九郎さん、よく物を積もって見なせえ、後の月から二月(ふたつき)越し、この香合の持主へ同じことが言われるものかな。もう一日はおろか半日でも待たれぬから待たれぬというのだ。



そう言われるは尤もだが、あの胡蝶の香合は、是非是非こっちへ買わねばならぬが、知ってのとおり浜松屋を駈落(かけお)ちをしたおれだから、今といっては出来ねえが、兄貴のほうへ言えば、さっそく金をよこすつもりだ。



そんなら、早く言いなせえな。



ところが生憎(あいにく)兄分(あにぶん)が先月お国へ出立なし、もう四五日のそのうちにきっと帰るということだ。いままで待った待ちついでに、どうぞ四五日待ってくだせえ。



いや、その言訳も今日で幾度(いくたび)、買人(かいて)がなければ急(せ)ぎもせぬが、右から左金になる買入があるから、気の毒ながら待たれないから、あきらめなせえ。



それじゃあどうでも待たれないのか。



待たれねえと言ったら、待たれねえのだ。



おお待てざあいい、待ってもらうまい。



よくなくってどうするものだ、こりゃ、うぬ、どうしやあがる。



どうするものだ、こうするのだ。信田家(しだけ)の重宝(ちょうほう)胡蝶の香合、兄貴の手より差し上ぐれば、言わずと知れた褒美はずっしり、ええ忝(かたじけ)ない。や、われはどうやら見たような。



われが見世へ騙(かた)りに行った、南郷の力丸だ。



ああ悪い者に見つかったが、こなたが取ってもその品は売ろうと言っても買人のない、お触れの廻った不正(ふしょう)な品、どうぞ私に返してください。



いいや、返さぬ、この品はこっちに望みがあって取るのだ。



なに、その香合を望みとは、



おれが仲間の兄弟分、弁天小僧が言訳になくてならねえこの香合、おれが貰った、くれてしまえ。



いやいややられぬ大事の代物(しろもの)、褒美(ほうび)の金にせねばならぬ。



いくら汝(われ)が褒美の金にしようと言っても、そりゃあ無駄だ、素人ならば知らぬこと、この力丸が手に入っちやあ、金輪(こんりん)奈落(ならく)返しゃあしねえ。



うぬ、そうぬかせば一生懸命、この与九郎が腕づくで、



何をこしゃくな。南無三、大事の香合を、



これも汝(うぬ)ゆえ、



や、力丸じゃあねえか。



おお、よいところへ菊之助、手前(てめえ)が尋ぬる香合をこの与九邸が持っているゆえ、取ろうと思い争ううち、あの悪次郎めがその品を、



おお持って行ったか。



おお、ひったくって行ったゆえ、後追いかけて取り返せ。



して、悪次郎が行く先は。



大門筋(だいもんすじ)を真っ直ぐに。



そんなら、これより、



すこしも早く。



合点だ。



彼奴(あいつ)はやらぬ。



こりゃもういっそ。



うぬ切りやあがったな。人殺しだ人殺しだ。



やれやれおそろしく骨を折らせやあがった。これにつけても菊之助の安否(あんぴ)が心もとない。後(あと)追いかけて、そうだそうだ。



捕った。



それ桜花爛漫(おうからんまん)と今を盛りの法(のり)の庭、仰げば高き山門の梢(こずえ)に花の白浪や、寄せては返る山風につれて散りゆく花吹雪、精舎(しょうじゃ)の鐘ぞ音高し、



さあ、われが持てる胡蝶の香合、きりきりおれに渡してしまえ。



ええ、しみしつこい。放しゃあがれ。



放したとても逃げ所は天より外へは行かれねえ。家(や)の棟(むね)高き山門(さんもん)へ逃げ上がったが袋の鼠、地獄落しか極楽寺の下は名におう滑川(なめりがわ)、身動きすりやあ真っ逆さま。命がおしくば宝をわたせ。



大金になるこの香合、うぬに渡してつまるものか。



なにをこしゃくな。これぞ尋ぬる胡蝶の香合、



南無三、それを。



ちええ忝(かたじけ)ない。
やや、あの物音(ものおと)は。



汝(われ)を召し捕る合図の太鼓、



なんと。



宝を餌(えさ)にこの屋根まで釣り寄せたのは搦(から)めん手段(てだて)だ。



訴人(そにん)なした意趣(いしゅ)ばらし、うぬが命は貰ったぞ。



こしゃくなことを。



やや、大切(だいじ)の宝を、



なにを。



故主の御息女(ごそくじょ)千寿姫を勾引(かどわか)したる言い訳に、千辛万苦(せんしんばんく)で取り得たる胡蝶の香合投げ込みし下は早瀬の滑川(なめりがわ)渦巻く水に行方さえ、誰(たれ)白浪の身の終わり、梢烈しき夜嵐(よあらし)に散りゆく花の雪ならで、これまで積もる悪事の年明(ねんあけ)、今日ぞ一期(いちご)に斎日(さいにち)の闇魔(えんま)の庁(ちょう)へ名乗って出る、弁天小僧菊之助が最期(さいご)のほどを捕手の奴等(やつら)、間近(ぢか)く寄って見物なせ。



春眠暁を覚えずと、昨夜(ゆうべ)の夢の覚めやらで、山さえ眠る春の夜に雪と見まごう花盛り、朧(おぼろ)の月も一層(ひとしお)と四方(よも)を眺めてついとろとろ、まどろむ寝耳に打ち立つる二六時中の時ならで、音色(ねいりお)烈しき寄太鼓(よせだいこ)、合点行かずと見おろせば、この極楽寺を十重(とえ)二十重(はたえ)囲むは我を召し捕る人夫(にんぷ)、星にはあらで提灯の光りまばゆき星月夜(ほしづきよ)、はて仰山(ぎょうさん)な振舞いだなあ。



頭(かしら)



おお、岩淵(いわぶち)三次(さんじ)、関戸(せきど)の吾介(ごすけ)、汝等(われら)はここに残っていたか。



さあ、この山門の梯子(はしご)を引き、数百人にて取り巻けば、翼があらば知らぬこと、



しょせん逃げ出る手段がなければ、捕手を引き受け花々しく、死ぬる覚悟の我々両人、



すでに冥土の魁(さきがけ)に、弁天小僧菊之助は、はるかに高き屋(や)の棟(むね)にて、



立腹(たちばら)切って潔(いさぎよ)く、冥土の旅の一番乗り、



頭も覚悟、



さっしゃりませ。



すりゃ菊之助は自殺なせしか、盛り短き花七日(はななぬか)、この世へ出でて十七年、譬(たと)えにもいう二十五の暁(あかつき)またで散りゆきしか、不憫(ふびん)なことをいたしたなあ。



駄右衛門、



覚悟。



さては汝等(われら)は裏返ったな。



おお命がおしさにこなたの住家(すみか)を、悪次郎と諸共(もろとも)に訴人なしたる我々両人、



最早(もはや)かなわぬ日本駄右衛門、どうで縄目(なわめ)にかかるなら、手下の手柄に、



して下せえ。



むむはははは、燕雀(えんじゃく)何(なん)ぞ大鵬(たいほう)のこの駄右衛門が心を知らんや。仁者(じんじゃ)の青砥が下知(げち)ならば手向かいなさで尋常に、縄目(なわめ)に逢わんがさもなくば、たとえ数(す)百の人夫(にんぷ)にてこの極楽寺を囲むとも、逃げるは腕に覚えあり、まず血祭りに汝等(おのれら)両人、死出(しで)や三途(さんず)の案内しろ。



なにをこしゃくな。



花に照り添う月影に見おろす下は滑川、あまたの人夫(にんぷ)屯(たむろ)なし、松明(たいまつ)振立て水中を尋ねさがすは何事(なにごと)なるか。中に烏帽子(えぼし)を着(ちゃく)せしはまさしく我を搦めんと、討手(うって)の者の頭なるか。はて面白き、眺めだなあ。
三幕目 大詰 : 滑川土橋の場



いま我君(わがきみ)の御武徳(ごぶとく)にて、泰平(たいへい)謳(うた)う時に望み世界を騒がす日本駄右衛門、搦め取らんと来かかる途中下部(しもべ)の者が滑川へ孔方(こうほう)十銭落とせしゆえ、



天下の宝の廃(すた)るを惜しませ僅か十銭を取り得んため、



五十銭の松明を焚き、土民を雇(やと)いてこれを捜す。



さては烏帽子を着(ちゃく)せしは、賢者と噂の藤網なるか。



いま十銭を尋ぬる折、はからず水底(みなそこ)より拾い上げしは信田家の重宝胡蝶の香合。



すりゃ菊之助が尋ねたる、胡蝶の香合が手に入りしとか。



まことに汝(なんじ)は日本駄右衛門、



すでに五人男と噂する盗賊南郷力丸はじめ、赤星十三、忠信利平、三人とも搦めとり、



まった弁天小僧菊之助は、屋根の棟にて自殺なし、のこるは日本駄右衛門一人、



いで吾々(われわれ)が、



いずれに隠れ忍ぶとも、



尋ねいださでおくべきか。



地獄の鬼の目を忍び、この極楽寺に隠れしが、天下の賢者と呼ばれたる藤綱殿ゆえのぞむところ、手向かいいたさぬ縄かけよ。



さすがは駄右衛門、けなげな一言、



いで我々が、



やれまて両人、窮鳥(きゅうちょう)懐(ふところ)に入る時は猟人(かりゅうど)もこれをとらず、当四月は先君(せんくん)の大法会(だいほうえ)ゆえ、それまでは一度は見のがす放生会(ほうじょうえ)、



すりや、駄右衛門をこのままに、



助けおくも義賊ゆえ、



仁愛(じんあい)深き藤綱殿の、言葉をもどくに似たれども、はや天命(てんめい)尽きたる駄右衛門、今縄(いまなわ)をかけて下されい。



すりゃ、駄右衛門にはこの場にて、



一命捨てるは予(かね)ての覚悟、



悪に強きは善にもと、



はて、あっぱれな、



日本駄右衛門、



いざ、縄をかけてくだされい。
-幕-
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