役名
- 綱の叔母真柴実は茨木童子 (つなのおばましば じつはいばらきどうじ)
- 渡辺源次綱 (わたなべのげんじつな)
- 家臣宇源太 (かしんうげんた)
- 士卒運藤 (しそつうんどう)
- 同 軍藤(ぐんどう)
- 太刀持 音若(おとわか)
渡辺綱(わたなべのつな)屋敷の場
かように侯ものは、頼光朝臣の四天王渡辺源次綱に仕え奉る者でござる。さても我が主人にはこの程九条羅生門にて鬼神の腕(かいな)を切り取りたまい、稀代の手柄をなされしが、陰陽の博士たる安倍の清明が勘文(こうもん)により、一七日のその間(あいだ)前後の門を堅く閉じ、御斎(おんものいみ)にござるゆえ、なおも油断のなきように申し伝えんと存ずる。やあやあ方々(かたがた)それにあるか。
はああ。
かねて御主人の仰せに任せ、
前後の門戸(もんこ)を、
守りて候。
それは一段と大儀でござる、もはや七日の御斎も明日一日となりぬれば、堅く門戸を守り候え。
心得申して候。
それ普天の下(した)率土(そつと)の浜(ひん)、王土(おうど)にあらぬ地のなきに、何処(いずく)に鬼の住みけるか、夜な夜な東寺の羅生門へ顕われ出て害なせるを、頼光(よりみつ)朝臣(あそん)の四天王渡辺の源氏綱、鬼神の腕を切り取りて、武名を天下に輝かせり。
このほど君(きみ)の御館(みたち)にて宿直(とのい)の折柄、保昌と詞争いなせしより、夜な夜な変化の出るという羅生門へ赴きて、仇なす鬼の腕を切り、思わぬ手柄いたせしも、これなん綱が武勇にあらず、ひとえに君が御威徳(おんいとく)、源家(げんけ)を守る神の御加護にて、この上もなき身の幸い、しかるに時の博士たる陰陽の道に精(くわ)しき播磨守(はりまのかみ)安倍の晴明、占方取って勘考なし、かかる悪鬼は七日の内に来りて仇をなす事あれば、門戸を閉じて斎(ものいみ)なし、仁王経(にんのうきょう)を読誦(どくじゅ)せよとの、教えによりて慎み居るも、もはや今日六日にて明日一日にて斎(いみ)明くれば、門戸を堅く守るべし。
仰せの如く御斎(おんものいみ)も、はや一日にござりますれば、前後の門を堅く閉じ、警護いたして候。
なおも心を用い候え。
心得申して候。
あら気詰まりの斎やな。
綱は心に油断なく、仁王経を読誦しつ、門戸を閉じて居たりける。
かかる所へ津の国の、渡辺の里よりして、遙々(はるばる)ここへ叔母御前(ごぜ)が、
甥を尋ねて如月の、梅もいつしか色香失せ、片枝は朽ちて杖突(つえつき)の、乃の字の姿恥ずかしく、笠に人目を忍びつつ、綱が屋敷へ辿り来て、
久しゅう対面なさざるゆえ甥の殿の懐かしく、心は急けど老いの足、日高(ひだか)き内にと思いしも、はや黄昏のかわたれ時、まず案内(あない)いたさばや。
構え由々しき渡辺の、門の外面(そとも)に佇みて、
のうのうと此家(このや)へ案内申す。
案内とは、誰人(だれびと)なるぞ。
わらわは津の国渡辺の、片辺(かたほと)りに住む綱が叔母、甥の殿に逢いとう思い、これへ尋ねて参りたり、はやはやこの門開き候え。
折角の御出でなれど、主人事(こと)は故あって、一七日の御斎、門戸の出入りを止むれば濫(みだ)りに開き申されず。
この門を開かれぬとは、それは如何なる故ありて。
これは由々しき大事にて、御斎の内なれば、よしなき事を問われずと、疾(と)く疾く故郷へ御帰り候え。
あら曲(きょく)もなき家の子や。
綱はそれに居らざるか、遙々尋ね参りしに、なぜこの門を開かぬぞ。
音のう声を綱は聞き、
時もこそあれ斎も、明日一日となりけるに、妨げられんは心憂(う)し、
さりとて老の杖を曳き、尋ねられしをこの儘に、内へも入れず戻さんは後めたしと立ち出でて、
叔母御前(ごぜ)には遠路の所、よくお尋ね下されたれど、故あって一七日門戸を閉じていたせば、たとい叔母御前なればとて門の内へは入れ難し。
それは他人の事にして、血筋の叔母を余所々々(よそよそ)しく、門を閉じて入れぬとは、
門戸を閉じて斎いたすも、私ならぬ則ち主命、この儀ばかりは許し召されい。
お主の命とあるからは、是非もなき事なれど、何故なにゆえあって斎(ものいみ)なすぞ。
祟りを受くる事ありて、身を慎みし斎なり。
こは心得ぬ事なるかな、当時都に名の高き頼光朝臣の御内(みうち)にて、四天王の随一と言わるる綱に似げなき詞、人の盛りに神ですら祟りのなきと申すのに、何ゆえ和殿は恐るるぞ。
これぞ陰陽の博士たる安倍の晴明が教えにより、身を慎みての斎なり、たとい血筋の叔母御前たりとも、今宵は対面なり難し、知るべき方へ宿りたまいて、七日過ぎて来りたまわば、いささか憚(はばか)る事もなし、打ち解けて語り申さん。
さては何様に頼むとも、甥の殿には許さぬとか。
是非なき事とあきらめ候え。
詞情(すげ)なく言い放し、元の座にこそ直りける。
いかなる事か知らねども、叔母を内へ入れぬとは、さりとは無情(つれな)き心ぞよ。
袖に涙の雨降りし、過ぎにし事も老の愚痴。
和殿は母の胎内に、あるうち父の充(みつる)はみまかり、続いて母も産後の悩みにはかなくこの世を去りしゆえ、便りなき身に養い取り、貧しき中に育(はぐく)みて、
昼は終日(ひねもす)肌に負い、夜は終夜(よすがら)抱寝(だきね)してむずかる時は様々に、欺し賺(すか)して出でもせぬ乳房を含めなんどして、身の老い行くも顧みず、成長なすを楽しみに、
月をかかなえ日をかぞえ、年月待ちし甲斐ありて、器量骨柄(こつがら)世に勝れ、
頼光朝臣の臣となり、御内の中でも一といい、二とは下らぬ郎党と、人のうわさを聞くたびに、
身にも余れる我が悦び、その有様を見まほしく、明け暮れ思えど足腰の、自由ならぬに日を送り、
今日は時得てようようと、尋ねて来たを内へも入れず、
外へ宿れと追い戻す、かく情なき者になれと、和殿を叔母は育てぬぞ。よしや斎なればとて母に等しきわらわをば、入れぬというは無慈悲ぞよ。
門に縋りてさめざめと、怨み託(かこ)てば渡辺も、聞く事ごとに嘆息(たんそく)なし、とやせん角と躊躇(ためら)いおる。
いかなる猛将勇士たりとも情を知らぬは武士(もののふ)ならず、無情(つれな)き和殿に愛想が尽きた、血筋を引きし叔母甥の因(ちな)みももはやこれまでなり、再び面(おもて)は合わさぬぞ。
逢わなぬといえど逢いたさに、雨の柳の打ち萎(しお)れ、肌に揉まる風情にて、行きつ戻りつ幾度となく、跡を見返り杖をひき、是非もなくなく行き過ぐれば、
産みの親にも勝りたる、恩ある叔母をこの儘に、帰すも本意ならざれば、閉ざせし、門を押し開き。
老の運びの捗らず、未だ遠く参らねば、いでいでこれへ呼び戻さん。のうのう叔母御前、御待ち候え。
なに、この叔母に待てよとは。
遠路の所御出でありしを、たとい斎なればとて、この儘お帰し申すのは、余りに本意(ほい)なき事ゆえに、只今対面つかまつらん。とくとくこれへ御帰り候え。
さては、対面致すとか。
いかにも。
むむ。
それは嬉しき事なりと、老をも忘れて立ち帰り、躓き転ぶ手を取って、従者が案内に座に着けば、こなたは敬い頭を下げ、
さて只今は斎にて、思わぬ失礼つかまつり候。まず御機嫌のよき体(てい)を拝し、大慶(たいけい)至極(しごく)に存じ候。
和殿にも変わらせなく、めでとうこそ候え。
御老体のお厭(いと)いなく、よくこそお尋ね下されしぞ。
久しゅうまみえざりしゆえ、懐かしさに参りたり。して和殿には何ゆえありて、斎をいたしゃるぞ。
御聞き及びもありつらん。このほど東寺の羅生門にて、某(それがし)鬼神の腕(かいな)を切り取り、比類なき手柄をなし、主人の御感(ぎょかん)にあずかりしが、陰陽の博士安倍の晴明、かかる悪鬼は七日のうちに、かならず祟りをなすものなり。
むむ。
仁王経を読誦なし、斎せよと教えにより、身を慎みて門戸を閉じ、人の出入りを止めて候。
さては安倍の晴明が、七日のうちにその悪鬼が、祟りをなすと申せしとか。いや勇気勝れし和殿などに、何とて祟りのあるべきぞ。心安う思われよ。何はしかれ津の国へ、帰りて里の人々に、叔母が自慢に語りたい、鬼の腕を切り取りし、その夜の次第を聞かしてくりゃれ。
それはいとより易きこと、只今お聞かせ申すべし。
いざいざこれにて物語り候え。
心得て候。
いざ語らんと座を構え、
さてもこの程御前に於て、九条東寺の羅生門に夜な夜な鬼の出るを恐れ、行きかう者のあらざるよし、これを御内に見届くる者はなきやと保昌が、申せし詞(ことば)の争いより、某見届け証(しるし)を建てんと、
鎧兜(よろいかぶと)に身を固め、君より賜わる名刀の、髭切(ひげきり)という太刀をはき、丈(たけ)なる駒に打ち乗って、舎人(とねり)も連れずただ一時、
宿所(しゅくしょ)を出でて墓地(まつしぐち)に、二条大路の大宮を、南頭(みなみがしら)に歩ませたり、
時しも一天掻曇(かきくも)り、降(ふ)り来る雨は春ながら、車軸(しゃじく)を流す烈しさに、進まぬ駒に鞭を打ち、
手綱引き締め九条を過ぎ、東寺の表へ打って出で、羅生門を見渡せば、茂る樹木に蔭暗く、いでや変化を見届けんと、
駒を放ちて石段へ、登りて証の高札を、建つる折柄鳴動(めいどう)なし、
一吹き落とす夜嵐と、共に後の方よりして、
甲(かぶと)のしころをむんずと掴み、我をば宙へ引き上げたり。
すはや鬼神と太刀を抜き、切らんとなせば、
えいと曳く。
はずみに兜の緒は切れて、
段より下へ飛び下りたり。
その時和殿は如何(いかが)せしぞ。
鬼神を討ち取り功名せんと、進めば鉄杖振り上げて、
打って掛かるを身を交わし、暫しは挑み戦いしが、
敵し難く組みつくを、しや小賢しと打ち払う、刄に腕を切り落とせば、
こは叶わじと傍(かたえ)なる、築地(ついじ)に手を掛け飛びあがれば、忽ち四方に黒雲立ち、目指すも知れぬ空中(そらなか)に、
時節を待って又取るべしと、
いう声かすかにいと凄く、鬼神(おにがみ)よりも怖ろしし。
早これまでと切り取りし、腕を持って立ち帰り、
君の御感にあずかりて、綱が名をこそ上げにけれ。
はて勇ましき和殿の手柄、わらわも上なき悦びなり、してその腕は何(いず)れにあるぞ。
悪鬼の祟りなきように、唐櫃(からびつ)に封じをなし、堅く秘蔵なして候。
博士の教えに随いて、すなわち我々昼夜とも、
この唐櫃の辺(ほとり)を去らず、
きっと警固(けいご)
いたして候。
腕をおさめし唐櫃を、御前に直せば。
さてはこれなる唐櫃に、鬼の腕が秘めありとか。
心あり気に摺り寄れば、綱は話を余所になし。
絶えて久しき叔母御前に、過ぎ越し方の物語は、あとにて緩々(ゆるゆる)申し上げん。先ず何は兎もあれ御気慰めに、御酒を一献参らすべし。
かしこまって候。
主人の命に家の子が、瓶子(へいじ)土器(かわらけ)携え出で、
いざ一献、
聞こし召し候え。
酒は何よりわらわが好物、辞退いたさず進めに任せ、どれどれ一献過ごしましょう。
こりゃ音若、叔母御前へお肴(さかな)いたせ。
はっ、かしこまって侯。
君が代は四つの海原(うなばら)穏やかに、風も渚へ漕ぎ寄する、千船(ちふね)百船(ももふね)帆を畳む長閑(のどけ)き空の八重霞(やえがすみ)、たつや蘆辺(あしべ)の田鶴(たづ)の、千代の羽重ね磯馴松(そなれまつ)、翠色(みどりいろ)増す春のさざなみ。
年に似合わぬ音若が指手(さすて)引手(ひくて)の面白さ、何よりの持成(もてなし)なるぞ。これは和殿へさし申す。
我等は七日の斎中(ものいみちゅう)、土器は手に取り難し、未だ余寒(よかん)も烈しければ、叔母御前にはお重ねあれ。
さあらば和殿が進めに任せ、もひとつわらわが重ね申さん。
叔母御前様へ申し上げます。
何事なるぞ。
只今これなる音若がお肴に舞を舞いましたが、叔母御前様の舞の一手、久しゅう拝見いたしませぬが、お育てなされし甥御様が、かかるお手柄なされたるは、まことにめでたきことなれば、舞を御所望申したし。
昔は舞も舞うたれど、かく年老いし上からは、足の踏度(ふんど)も覚束なし、舞は平に許しくれよ。
ではござりましょうが、御祝儀に。
なにとぞ一指、
御舞い下され。
御大儀にも候わんが、某もまた斎にて、何となく鬱鬱と心沈みて候えば、共々舞を御所望申す。
和殿(わどの)が所望とあるからは、舞わぬというも興がなく、一指舞うも斎を、ただ慰めのためなれば、老の手振りの拙(つたな)きは、何れも許し候えや。
御許容ありて大慶なり、いざいざこれにて、
御舞い候え。
あら、面なきの事にて候。
酒の機嫌を仮染(かりそめ)に、指手引手の末広や。
栄え久しき神の松。
津の国に年を重ねて住の江の、岸の蘆間(あしま)へ打ち寄する、額の浪に越し方を、思い出(いで)見(み)の浜遊び、梅の花貝桜貝拾う乙女も春過ぎて、誰におうぎの御田植、流(ながれ)の水の浅沢に、深き契りの潮崎、濡れにし中も夏の夜の、短き縁(えにし)立つ秋の、風に結びし露の散り、一人津守の浦淋し、遠里小野の間う人も、霰(あられ)松原冬枯れて、今は甲斐なき老の身を、かこつ依羅(よさぎ)の小夜時雨(さよしぐれ)、昔恋しき舞の袖。
やんややんや。
年を重ねし老の身の、心に任せぬしどろの舞、いと恥ずかしき事にて候。
昔に変わらぬ御舞振り、ほとんと感じ入ってござる。
和殿の頼みに舞を舞うたが、いまさら叔母が改めて、和殿へ一つの頼みあり、聞き入れてくれらりょうや。
いかなる事か存ぜねど、我が身に叶いし事ならば、いかで違背(いはい)いたしましょうぞ。
頼みというはそれにある、羅生門で切り取りし、腕をわらわに見せてたべ。
さてはこれなる腕をば。
画には見れども正真(しょうじん)の、鬼を未だ見たる事なし、もはや六十の関(せき)を越せば明日をも知れぬ老(おい)の体、死して冥土へ赴(おもむ)かば和殿の親にかくかくと、手柄の次第を聞かせたい、冥土の土産にこの叔母へ、腕を一目見せ候え。
七日の内は唐櫃の蓋を必ず明けるなと、清明よりの戒めなれど、一方ならぬ大恩ある叔母御前のお頼みゆえ、ひそかに腕を御目にかけん。
それは何よりかたじけなし、わらわが望みもこれにて叶い、上なきこの身の悦びなり。
いざいざこれにて、御覧候え。
あら嬉しき事にて候。
時を得顔に結び目を、解く間遅しと待つ内に、従者が櫃の蓋取れば、
傍(かたえ)へ摺り寄り差し覗き、
さてこそこれが切り取りし、鬼の腕でありけるか。
ためつすがめつ稍(やや)しばし、打ち守りて居たりしが、次第々々に面色変わり、
隙を窺い彼の腕を、取るよと見えしが忽ちに、鬼神(きじん)となって飛び上がれば、さてこそ変化のがさじと、網はあとをば追い行けり。
これこれ両人、如何せしぞ、気を慥(たし)かに持て持て。
ああ恐ろしや恐ろしや、津の国の渡辺にござる、叔母御様と思いのほか、
羅生門で御主人に、腕を切られた鬼であったか。
ああ、こわやのこわやの。
舞のうちに唐櫃へ心を寄せるは何ゆえなるか合点行かずと思いしが、さてこそ変化であったるか。
おのれが腕を取り返さんと、叔母御様に化け居った。
鬼めがかっと睨んだ顔が、未だに目先に見えるようで、
ああ、こわやのこわやの。
なるほど安倍の晴明は世にも名高き博士とて、七日のうちに祟りのあるを、とくより知られし事と見える。何はさておき御主人が、追い駆けてござったれば、あとより参って御加勢なさん。其方どもも一緒に参れ。
参りとうはござりますが、足が顫(ふる)うてなりませぬ。
どうぞ許して下さりませ。
日頃扶持(ふち)を給わるは、何のためと思いおる。さあさあ一緒に参れ参れ。
何時の間にか日は暮れて、闇(くら)さはくらし、怖さは怖し。
あとからそろそろ参りますから、まずまずお先へ、
おいでなされい。
さてさて役に立たぬ奴じゃ。
ああ、こわやのこわやの。
臆病風に士卒ども、首筋許がぞくぞくと、怖さに身内顫(ふる)われて、しどろもどろに探り合い。
やあ、鬼か。
いや、軍藤だ。
やれやれ怖い事ではある。
おのれは鬼か。
いや、運藤でござる。
鬼は何れへ逃げおったか。
鬼は何処じゃ鬼は何処じゃ。
あいたたたたた。
くっしと打って自ら出た、火(ほ)影に四辺(あたり)の雲晴れて、
あれあれ玄関の破風(はふ)を破り、変化は彼処(かしこ)に顕われしぞ。
又もや鬼が出ましたとか。
怖ろしや怖ろしや。
妖魔の障礙(しょうげ)に鳴動なし、人々恐怖なす折しも、破風を蹴破り顕われ出で、四辺を睨みし有様は、身の毛も弥(よ)立つばかりなり。
いかに、渡辺源次綱、過ぎし夜(よ)東寺の羅生門にて、兜のしころを引き切りし、我こそ茨木童子なり。
さては世上で噂ある、茨木童子でありしよな。
我が通力(つうりき)にて津の国の、叔母が姿に身を変じ、
汝に切られし腕をば、取り返さんそのために、
これまで来ると知らざるや。
正(まさ)しき叔母と思いしゆえ、秘蔵なしたる腕をば、見せしは綱が誤りなり、いでや汝を討ち取らん。
綱は怒りて早足(さそく)を踏み、討たんとすれど虚空にあり、飛行(ひぎょう)自在の通力に、
如何にがなして討ち取るべしと、思えど黒雲立ち覆い、鬼神の姿は消え失せけり。
猶(なお)時を得て討ち取るべしと、妖魔に恐れぬ武勇の程、感ぜぬ者こそなかりける。
幕
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