歌舞伎十八番の内 毛抜 その2

歌舞伎十八番の内 毛抜

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目次

役名

  • 小野左衛門春道 (おのさえもんはるみち)
  • 同一子春風 (はるかぜ)
  • 家老八剣玄蕃 (かろうやつるぎげんば)
  • 同一子数馬
  • 家老秦民部 (はたみんぶ)
  • 同弟秀太郎
  • 桜町中将清房 (さくらまちちゅうじょうきよふさ)
  • 小原万兵衛 (おはらまんべえ)実は石原瀬平(いしはらせへい)
  • 粂寺弾正 (くめでらだんじょう)
  • 小野の息女錦の前
  • 侍女巻絹 (まきぎぬ)
  • その他忍びの者
  • 仕丁
  • 侍等

小野春道館(おののはるみちやかた)の場

呼び

文屋の豊秀さまお使者ー。

玄蕃

豊秀さまよりのお使者、はて合点の行かぬ。

民部

なんであろうと、お迎え申しましょう。

弾正

あれへ参って「粂寺弾正でござりまする、主人豊秀より使者に罷り越しました。お取次ぎを頼みまする」と案内を乞うて参れ。

従者

かしこまりました。

弾正

こりゃこりゃ、ずいぶん無礼のないように。

従者

はっ。

頼みましょう。

民部

委細はこれにて承った。お使者、これへお通りなされませいとお言いやれ。

従者

はっ。これへ通りなされませいとの儀でござりまする。

弾正

供せい。

民部

これはこれは弾正どの、その後は中絶いたし御御意ませぬ。先ず以て今日のお使者、御苦労千万に存じまする。

弾正

民部どのでござりまするか。誠にその後は打ち絶え御御意得ませぬ。先ずは御健勝の体(てい)。

玄蕃

さてはこなたが承り及びました、文屋の豊秀卿の御家臣、粂寺弾正殿、手前は当家の執権、八剣玄蕃と申す役に立たずでござる。以後はお心易く御御意えましょう。

弾正

これはこれは、玄蕃どのでござりまするか。折を得ませいで御御意得ませぬ。御疎遠(ごそえん)の至りに存じまする。この上からは、段琴(だんきん)の交わりを頼み存じまする。

玄蕃

御丁寧な御挨拶、先ず先ずお通りなされましょう。

弾正

しからば左様につかまつりましょう。

玄蕃

して、今日のお使者の趣、いかなる儀でござりまする。様子一通り仰せ聞かされましょう。

弾正

お尋ねなくとも申さねばならぬ使者の役目、主人豊秀申し越しまするは、なたの大殿春道公より、豊秀へ契約を以て、姫君錦の前さまを、すなわち主人の宿の妻に、お極(き)めなされた儀でござりまする。ところに姫君には、なんとやら御病気とあって、御婚礼の日限たちまして、今日までお輿も入りませぬ。この儀について明輩どもを以て、度々に申し越しますれど、ただ御病気ゆえ延引(えんにん)と、委細の儀が相しれませぬによって、それがし立越し、大殿様の御返答を承り、また御病気の様子も承り、とくと伺い申し、立ち帰れとの申しつけを以て、参上いたしてござる。この儀よろしくお執りなし頼み申し上げまする。

民部

お使者の趣き、承り届けましてござりまする。いかにも先達て申し入れまする通り、姫君錦の前の儀、ちと御病気につかれましたゆえ、存じながら輿入れの儀、延引つかまつりましたが、御本復(ごほんぷく)次第に、めでとう御祝儀を取り結びまするでござりましょう。

玄蕃

これこれ民部、面妖、この人は奥歯に衣着せる男じゃあ。あの姫君の病がどうして直るものじゃ。この世が泥の海に引っくり返るまで待ったとて、なかなか本復のある気色(けしき)ではおりない。すっぱりと手短な返事したがよい。いや弾正どの、主人春道へ披露申すにも及びませぬ。おの縁談は、どうで埒のあかぬこと。お帰りなされてあろうならば、八剣玄蕃が申す、錦の前の縁組みは調いませぬによって、今日の使者を幸い離縁いたすと、よろしく仰せられい。御大儀に存じまする。煙草でもまいって帰らしゃれ。ようござった。

民部

いや、玄蕃控えめされい。親殿へも御披露申さず、貴殿の計らいで、豊秀卿と錦の前との御仲を離縁とは、そりゃ下(しも)として、上(かみ)を計るというもの。まして、歴々の弾正どのの手前、ちと過言でござろうぞ。

玄蕃

ははははは、大殿が合点でも、天照大神(てんしょうだいじん)が呑み込ましゃっても、この玄蕃が頭(かぶり)を振ったら、小野の家の箸の転んだことでもかなわぬことさ。数言うは口づいえ、この縁組は、玄蕃が御家にあらん限りは成り申さぬ。

民部

いや舌長な。この民部、御家にあらん限りは、めでとう御祝言を取り結んでお目にかきょう。

玄蕃

いや、推参な。

民部

なにが推参な。

弾正

これはこれは御両所、それを調べに参った拙者でさえ、詞を出さず罷りある。それに側(はた)から御争論、粗忽(そこつ)千万、平(ひら)にお控えなされい。

民部

でも、あまりと申せば、人もなげなる過言、弓矢八藩。

弾正

ようござるわいの。お急(せ)きなされななされな。ははははは、小野のお家に承り及んだ玄蕃どの、只今の御一言、さだめて深い思し召しあっての儀でござろう。して、許嫁のある姫君を、離縁いたすとはいぶかしい。さあ、仰せられい。

玄蕃

家の束(たば)ねをば致す拙者、粗忽な儀を申そうか。離別なさると申すは、先ず第一に、この方とこなたの御主人と、両家のためを大切に存ずるゆえ、離別の返事いたすのでござるてや。

弾正

ほう、両家のために離別いたすとはな。

玄蕃

主人ながら手前方の息女は、人間ではござらぬ。

弾正

やあ、なんと。

玄蕃

かく申したばかりでは、御合点が参るまい。器量も大概、そうして余り阿房ではござらぬが、惜しい儀でござる、人間の交わりがなりませんさ。

民部

こりゃ玄蕃、さまざまのことをお言やるが、大切な主君の息女を、人間の交わりがならぬとは、重ねて左様な儀を口外いたすと、この民部が手は見せぬぞ。

弾正

はて、ようござるて。ああおっしゃるには、深い料簡があっての儀でござろう。そこがお智恵の満々たる代々の御家老職。先ず幕際のセリフをお聞きなされい。して、その後はどうでござるな。

玄蕃

人間の交わりのならぬと申すは、病の根元でござるぞや。せっかく花嫁御に貰わっしゃっても、大きな業(ごう)ざらし、そこで離別ということを申すのでござる。それに民部の智恵もない癖に、きっぱ廻して小見苦しい。大老職の羽交(はが)いの下にしゃっ屈む雀が、ちゃちゃくちゃとやかましい。この縁組は、あははは、かなわぬことだと思わっしゃれい。

弾正

燕雀(えんじゃく)なんぞ大鵬の心を知らんの譬(たと)えを引いての御挨拶、さすがは御大老ほどあって、承りどころでござる。そりゃ御大病の儀でござらば、事によって離縁いたすまいものでもござらぬ。しかし、其許(そこもと)の口先ばかりでは済みますまい。もちろん主人も御病気の容体をとくと伺い、立ち帰れと申しつけてござれば、千も万もいりませぬ。慮外ながらお姫様にお目見得いたして、直々御病気の様子伺い、その上での料簡次第につかまつりましょう。おむずかしいながらお執りなしを以て、お姫様へお目見得を仰せつけ下さりましょう。

民部

御尤もな御念ではござれども、人に逢わっしゃる儀は、いこう恥ずかしがらっしゃる御病気にことでござれば。よもや御本復ないと申す儀はござるまい。何卒それまで御祝言を、お待ちなされて下さるよう、お執りなしを頼みまする。

玄蕃

そのような鼻の下の延び過ぎた、あんだらくさい料簡じゃ済まぬ。いかにも弾正どののお望み通り、姫君をこれへ呼び出し、御病気の様子を見せました上で、現金商い、さっぱりとしましたがようござるてや。

民部

それではあなたの御恥辱(おんちじょく)。

玄蕃

恥辱とはなんのことじゃ。隠しても包んでも、業ざらしなあの病性(びょうしょう)、隠すことはござらぬ。このような浅ましい病は、諸人に見せて、回向(えこう)を受けるがその身のため。こりゃこりゃ巻絹巻絹。

巻絹

玄蕃さま、急にお呼びなされたは、御用でもござりまするか。

玄蕃

文屋の豊秀公よりのお使者、粂寺弾正殿の逢われましょうと言うて、錦の前様をこれへお供しやれ。

巻絹

そりゃ何をおっしゃりまする。女子同士でさえ始めてのお衆には、お逢いなされぬお姫様。まして殿御達の前へ、どうしてお供申さるるものでござんすぞいなあ。

弾正

いやいや女中、それはちっとも苦しゅうない儀でござる。拙者は姫君の殿御、豊秀が家来でござる。申さばお姫様の乳人(めのと)も同然、ちっとも御遠慮のない儀でござる。平にお目見得のお取次ぎを頼みまする。

巻絹

なんぼうそうじゃと言うても。

玄蕃

はて、うじうじと。玄蕃が言いつけじゃというて、御同道しやれ。

巻絹

さあ、それでも。

玄蕃

はて、行こうてや。

巻絹

ええ、てんと我儘なことじゃぞ。

大勢

まあ、お出でなされませいなあ。

嫌じゃ、嫌じゃ、嫌じゃわいのう。

弾正

錦の前さまでござりまするか。拙者儀は、お前さまのおいとしゅう思し召されまする、許嫁の殿御、豊秀の家臣、粂寺弾正と申す者でござりまする。今日参上つかまつりましたは、あまり御縁談が延引いたしまして、一家中ことのほか待ち兼ねまする。一家中よりは第一まあ旦那がことのほかお待ち兼ね、さだめてお前さまにも、さぞお待ち兼ねなされましょうと存じて、お迎えのため参上つかまつりましたところに、御病気ゆえお輿を入れませぬとの御家老様よりのお断り、あまり心許のう存じまして、憚りながら御病気の様子伺いのため、お目見得を願いましたのでござりまする。あわれお詞を下しおかれましょうならば、これより直ぐにお供つかまつり、今日まで互いにお待ち兼ねなされた未進(みしん)を、一度に埋めさっしゃりまするように、お取り待ち申す上げまするでござりまする。

巻絹

ほんに人体(にんてい)は堅う見えるお侍さんじゃが、なかなかおどけた人さんじゃわいなあ。もうし姫君さま、日頃恋しい床しいとおっしゃった、豊秀さまの御家老さんでござりまする。早う御挨拶なされませいなあ。

夢かとも何か思わん浮世かな、消えもやられぬ程ぞ悲しき。悲しいというて、わしがように悲しい身が、三千世界にまたと二人あろうか。弾正とやら、恥ずかしいと言おうか、面目ないと言おうか、今吟じた歌の如く、なぜこの身は消えぬぞ。いいやいの、なにゆえこの憂き身は消えてくれぬぞいなあ。

弾正

まだ祝言も済まぬうちに、消えてつまるものでござりまするか。いかさま、お身の上を寄ってかたって消したがる火取蟲が、あるまいものでもござりません。そこを拙者が油を注ぎ、燈心をふやして、消さすことじゃござりませぬ。お身の明かりをわたくしが今に立ててあげましょうほどに、ちっともお気づかいなされますな。

さればいのう。なんぼう側から油をつぎ、燈心を足して掻き立てて貰うても、どうも消えねばならぬ憂き身の上じゃわいのう。誰あろう今の世の優男(やさおとこ)と、雲の上まで隠れなく、女官様方の恋しいと思わしゃんす豊秀さまを、親々のお許しで殿御に待つというは、姫御前(ひめごぜ)に生まれた規模といおうか、嬉しいといおうか、わしほど果報な者はないと、ほんにこの身でこの身を自慢して、出雲の神様や結ぶの神様を拝んでばかりいたのに、盈つれば欠くると、病も多かろうに世に類ない病を受け、大事の殿にさえ添うことのならぬような、因果な身の上になるというは、世界の神様仏様に見離されてか。もう生き存(ながら)えて、人間に面(おも)を見らりょうより、いっそ死んでと、守り刀に手をかけたことは、幾度ということはないわいのう。こうした憂き身の中にも、おいとしいは父様(ととさま)、逢いたいは豊秀さまと、親を思い夫を思い、死ぬにも死なれず、生きるにも生きられず、天地の間に置き所ない因果なわしが身の上。弾正とやら、其方に逢うたは千万人の人に恥を曝(さら)すより、たった一人其方に逢うが、わしゃ恥ずかしいわいのう。

弾正

そのようにお嘆きなされるは、御尤もでござりまする。と言おうにも、肝心の御病気の様子が知れませぬによって、どうも御挨拶の申しようがござりませぬ。

玄蕃

尤も尤も。病気の様子、お目にかけましょう。

さあさあ、薄衣(うすぎぬ)を取らっしゃれ。

木幡

これ玄蕃さま、この衣をとると、また何時ものように御病気が起こって苦しまっしゃる。殊に弾正さまの前、お恥ずかしいといなあ。やっぱり衣を召しましておかしゃんせいなあ。

玄蕃

なんの、女の知ったことじゃない。退(の)こう。

病気の根元、お目にかきょうか。

のう情けなや。また病気が起こったわいのう。ええ恥ずかしい、面目ない。早う衣を着せてたもいのう。

民部

おんあぼきゃ、べいろしゃのまかほだら、はらはりたや、そわかそわか。

はああ。

民部

はて、是非に及ばぬなあ。

玄蕃

なんと弾正、お見やったか。珍しいと言おうか、浅ましいと言おうか。何とも名のつけようのない御病気でござる。誠や蛇身になる女子(おなご)は、呼吸の度ごとに髪の毛逆立つように動き、清水(せいすい)に侵せば忽ち血潮となると、古い書(ふみ)にも見えてござるげな。微塵(みじん)も違わぬ蛇身の体相(たいそう)の病、すりゃ鬼畜の類い。最前申した通り、錦の前どのは、人間ではないと申したが、誤りでござるか。あの如く浅ましい姫君を送っては、小野の家の恥辱、娶(めと)られた文屋の家の瑕瑾(かきん)、そこで両家のためにならぬ縁組ゆえ、離別してしまったがよいと申すのだが、家老の分別奥の手、なんとこれでも玄蕃が誤りかな。

弾正

はて、思い寄らぬ稀有(けう)な御病気でござるな。尤も奇病文(きびょうもん)にも、様々と病の説を上げてござれども、その中にもござらぬほど珍しい御病気。いかさま、この体(てい)を見ましては、玄蕃どのの一言、御尤もに存じまする。

玄蕃

そこが大家老の胸の広さ、早う帰って豊秀公へあの通り申し上げられい。さっぱりと離別召されよさ。

弾正

いや、そうはなりますまい。

玄蕃

なぜさ。

弾正

最初お姫様を申し受けたは、其方の手からは申し受けは致さぬ。慮外ながら手前大殿、こなたの大殿様とお口を堅められての御縁組、その大切な御縁談を、こなたが離別しょうと思わっしゃると、立ち帰って主人へなんと申されそうなものだと思し召す。この儀については春道公、春風公、御両所佐前お目見得して、直(じき)の御挨拶承って、その上での拙者が料簡。こりゃ、大家老の御粗相かと、手前どもは存じまする。

玄蕃

なにさまなあ。ちっと拙者が過ぎてござる。その段は大家老だけに大目に見てくだされいさ、ははははは。

弾正

ときに、その薄衣を召せば、お髪(ぐし)は逆立ちませぬかな。

民部

さればでござる。典薬医師(てんやくくすし)が手を尽くし、様々祈祷記念におろかはござらねども、なかなか少しも験(げん)の見えぬ御病気。ところにありがたい鳴神上人の、光明真言(こうみょうしんごん)のお守り、これを薄衣に縫い込ませ、御覧の通り不断薄衣を召してござるそのうちは、御病気は起こりませぬ。畢竟(ひっきょう)光明真言の加持のおかげとありがとう存じまする。

弾正

すりゃ、その薄衣を召してござるうちは、逆立ちませぬか。

民部

さようでござりまする。

弾正

はてなあ。

いずれの道にも、大殿様にお目見得いたしてからの儀に致そう。お取りつぎを頼み存じまする。

民部

かしこまってはござれども、今日はお勅使お入りなされて、奥殿にておもてなしの最中でござる。その上ちっとお家に縺(もつ)れました詮議もござる。間を見合わせまして御披露申しましょう。御退屈ながら暫くこれにお控え下さりましょう。

弾正

何がさて、お目見得いたさぬうちは、今日が明日、今年が明年までも相待ちましょう。首尾を見合わせてお取りつぎを、頼み存じまする。

玄蕃

巻絹、姫君を奥へ御供つかまつれ。

三人

さあ、お出でなされませい。

弾正、恥ずかしい。今の体(てい)を見せて、何とて生きていらりょうぞ。わしゃ早う死にたいわいのう。

三人

さあ、お出でなされませいなあ。

民部

しからばお待ち遠ながら、しばらくお控えくださりましょう。

弾正

いつまでも相待ちましょうほどに、お目見得を頼み存ずる。

民部

心得ましてござる。

玄蕃

しからば。

民部

後刻御意得ましょう。

その3

参考文献

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