役名
- 小野左衛門春道 (おのさえもんはるみち)
- 同一子春風 (はるかぜ)
- 家老八剣玄蕃 (かろうやつるぎげんば)
- 同一子数馬
- 家老秦民部 (はたみんぶ)
- 同弟秀太郎
- 桜町中将清房 (さくらまちちゅうじょうきよふさ)
- 小原万兵衛 (おはらまんべえ)実は石原瀬平(いしはらせへい)
- 粂寺弾正 (くめでらだんじょう)
- 小野の息女錦の前
- 侍女巻絹 (まきぎぬ)
- その他忍びの者
- 仕丁
- 侍等
小野春道館(おののはるみちやかた)の場
そんな甘口なことじゃゆかぬ。妹を返しゃ返しゃ。
ええ、声が高いと奥へ聞こえる。困った奴じゃ。
もうし、最前からこれで聞いていれば、つい埒の明きそうな扱いに、いこうお困りそうに見えまする。どうやら差し出がましゅうござれども、申さば一家の家来の拙者、御家来も同然、不調法ながらちっと料簡いたして見ましょうかな。
それはかたじけのう存じまする。愚昧(ぐまい)のわれわれが料簡には及びませぬ。どうぞ御思案頼み存じまする。
いらぬお世話。詮議してよければ、身ども罷り在る。どう扱うても万兵衛が尤も。それを下手な扱いを入れて、しまいが附かずば、御自分の体はどう納め召さるる。
両腰は伊達に差しませぬ。御自分様が左様おっしゃれば、扱い致すにいこう花が咲いて、面白うござりまする。はて、もし扱い損うたならば、春風公の御名代に、切腹いたすまでのことさ。しからばあれへ参りましょうか。
御苦労ながら。
さらば、弾正どののお捌き、これで見物いたそう。
して、御思案とはな。
思案と申して、別儀もござらぬ。やい、万兵衛とやら、憎い奴だ。最前から若殿へ対しての過言、民部どのへ向こうての慮外、許されぬ奴なれども、申さば妹を殺された愁傷、一通り聞きどころあればこそ、そこに免じて身どもが料簡つけてくりょう。そちが妹に、お歴々の手がかかって懐胎したというは、そちたちが身では、近頃冥加(みょうが)にかのうたというもの。お上から下さるこの五百両、結構なことじゃと思うて、早く帰れ帰れ。
お侍様、お前はいこうしかつべらしゅう出さっしゃりましたが、人の命が銭金で売買がなりまするか。お前は売らっしゃりまするか。五百両や千両で妹が命は買われませぬわいの、あんだらくさい。
そんなら、この金はいらぬの。すりゃ、妹を戻しさえすれば言い分はないな。はてよいわ。妹を戻してくりょうわ。
さあ受け取りましょう。今ここで戻して貰いましょう。
なるほど戻してくりょう。
これ弾正、死んだ者が、どうして戻るものじゃ。
はてさて、御苦労なされまするな。
面白うなって来た、早う妹を受け取ろう。
渡そうとも渡そうとも。若侍たち、料紙を持たっしゃれ。
料紙も猟人もいらん。妹を受け取るぞ受け取るぞ。
弾正、こりゃどうすることじゃぞいの。
いや弾正どの、そりゃ何事でござる。あの死んでしもうた妹が、どうして戻るものでござるぞえ。そこを御自分様が、小磯を戻そうとおっしゃるには、なんぞ仔細でもござるかな。
なんであろうと、拙者次第になされませい。
ああ、これでお使者の知恵袋が知れた。どうやらこれも本気ではなさそうな。これで文屋の家の束でも高が知れた。目の寄る所へは玉も寄る。しまいの納めを見物いたそうか。
いかにも今妹を戻しは戻そうが、一度死んだ者じゃによって、この世にはおらぬわ。産婦で死んだれば血の池地獄におるであろう。地獄から呼び返してわれに渡そう。これが即ち地獄への手紙。これを読んで見よ。
口上書の事、一(ひとつ)、小原の万兵衛妹小磯と申す者、急用御座候まま、再び甦らせて此の者と一緒に娑婆へお帰し下さるべく候。恐惶(きょうこう)謹言(きんげん)。閻魔大王様、御披露、急用の御中、粂寺弾正判。
なんと、読んで見たか。その手紙をやると、妹は早速娑婆へ戻る。閻魔大王とおれとは兄弟同然に心安い仲じゃが、一つ困ったことがある。この文を持たして地獄へやる者がない。幸いじゃ、われがこの文を地獄へ持って言って、妹を同道して戻れさ。
ええ。
はてさて、代人をやろうよりは、同胞(きょうだい)の其方が迎いに行ったら、妹もさぞ悦ぶであろう。最前から大金を下されても、金にも目がくれず、とかく妹を戻せ戻せと理屈張るわれを迎えにやる。閻魔大王が方(かた)へ、おれが手紙をやることは、めったなことではやらぬ。あんまり其方が志が殊勝だから、言い難い無心を言うてやるのじゃ。これからすぐに行け、行ったら閻魔にも言伝(ことづて)してくれい。かわることもござらぬか。粂寺弾正息災でおりますると。地獄へ行く路銀をくりょう。したが地獄道中は銀や金は通用せぬぞ。銭がよい。そういうて多くもいらぬ。たった六文あればつい行かれるほどに、これ、この手紙を持って、早く地獄へ迎いに行け。
さあ、どうじゃ仕度して早く地獄へ旅立ちせぬか。
いかさま、こりゃ御尤もな料簡でござる。
そりゃ妹を迎いに参るまいものでもござりませぬが。惣体(そうたい)ちょっと京や大阪へ参るのさえ、日柄を選んで旅立ちするじゃござりませぬか。何がはるばる遠い冥土の度へ赴きますこと、町所(ちょうところ)へ黙って参られませぬ。庄屋どのへの暇乞いいたして参りましょう。
それもそうじゃ。町所へ黙って旅立ちはなるまい。早う帰って、所
の役人にも相談いたせ、早う行け行け。
さようでござりまする。まあ、ちょっと去んで参りましょう。
それじゃ、われ、口が違うぞよ。たった今この場で、妹を受け取ろうとねだったのではないか。言う通りたった今、妹を戻してくりょうほどに、この座からすぐに旅立ちをしおろう。
そりゃ、あんまる急にござります。わらんじも逆様に穿かねばならず、頭陀袋(ずだぶくろ)も逢わねばならず、何もかも仕度せねばなりませぬ。どうじゃあろうとわたくしは、まあ、お暇申しましょう。
早く仕度に行け。
お暇申しまする。
弾正どの、なにゆえ万兵衛を切った。殺してよくばお身の手は頼まぬ。殺すことはさておき、爪撥(つまはじ)きも当てられぬ万兵衛を。それというも若殿の不行跡(ふぎょうせき)からのこと、奥にはお勅使がお入りなされる。大切な家の短冊は紛失する。旁々(かたがた)以てお家の大事、その中へ万兵衛が最初からの言い分は、皆彼が道理ゆえ、騙しすかして戻そうと、身どもがとくと思案をして置いたのに、差し出過ぎて殺してしまった。すりゃ若殿ゆえ小磯兄妹を殺したというもの。たとえ軽い者の命でも、お上の御詮議にかかれば、重いのと軽いのと、命に二つの差別はない。よって小磯
兄妹が下手人は若殿に極まる。こりゃ、手伝いして小野の家を潰すのか。弾正、なんとじゃ。
たとえいか様ねだっても、妹が死んだれば、皆万兵衛が尤もじゃ。その万兵衛を殺すとは、弾正が粗相ばっかりじゃない。この春風が天命の尽きたるところ、ええ、是非に及ばぬなあ。
これ弾正どの、落ちつくところじゃない。大きな粗相を仕出して、こりゃまあ、しまいはどう納みょうと思うてござる。
ははははは、盗人の昼寝も当(あて)がのうては致さぬ。こいつは誠の小磯が兄ではござらぬ。真赤(まっか)いなにせ者、ねだり者でござる。お家を見かけて金をしたたかしてやろうという、狂言盗人でござるによって、即座にぶち放してござるわいの。
ふむ、にせ者という証拠があるか。
いずれもは、小磯が兄というを、お見知りござるかな。
はて、若殿が遣わされた一筆が慥(たし)かな証拠さ。
それが即ち、にせ者の根元(こんげん)根本(こんぽん)でござるて。
して、にせ者の根元とはな。
小原は拙者が主人、文屋の豊秀が知行所でござる。しかるに当月上旬拙者が当番にて、決断所に相詰め罷りあったところに、かれ小原の万兵衛が参って訴訟いたしには、わたくしが妹小磯と申す女を、昨日木の島明神の松原において、何物とも知れず刺し殺して、捨て置きましてござりまする。この女の懐中には小野春風公よりのお手紙ならびに大切な一品を懐中いたしておりましたを、妹を殺して、一品を奪い取って立ち去りましてござりまする。この儀を御詮議なされ下さりませと訴えました。小野のお家にかかった、大切な詮議と存じて、小磯が死骸を検使を以てとくと見届け、兄万兵衛も手前が屋敷に留め置きましてござりまする。最前からの様子、察するところ粉うところもない彼奴めが小磯を殺して、兄の証拠になる手紙を持って難渋を言いかけ、金子をねだると見受けたゆえ、討って捨てましてござる。まだまだ大切な詮議がござる。
なんと御覧なされたか。今日お家の断絶に及んだ短冊は、もしやこれではござりませぬか。
いかにも、大切な御家の短冊。
せっかく骨折った短冊、其許には渡されぬ。
何ゆえな。
貴様は最前から、おれを強(きつ)う叱った、その返報にこの短冊は。
おれに渡すか。
いや、こなたへお渡し申そう。
なんと、細工は流々仕上げを御覧(ごろう)じなされたか。相変らず不調法な体をお目にかけました。
したり。ああ、驚き入ったる弾正どののお捌き。お陰で今日お勅使の申しわけも立ち、お家も恙(つつが)なし、これほどかたじけない儀はござりませぬ。
さすが弾正どののお捌きでござる。しかし、先ほどより申した儀がお耳へかかったら、真平御宥免(ごゆうめん)に預かりましょう。
これは痛み入ったる御挨拶。
ははははは。
ははははは。
ときに、この詮議は、ほんの差し出口。肝腎肝文の使者の御返事、早く承りとう存じまする。
御尤もに存じます。数馬、秀太郎、この儀を大殿へ言上申し、お供申して参れ。
かしこまりました。
聞いた聞いた。それへ参って逢おう。さあ、娘おじゃ。
最前からの様子、奥にて残らず聞き届けた。弾正そちが働きを以て、大切な宝が手に入って、お上への申しわけも立ち、我も立つ。これほど嬉しい儀はない。お勅使へこの段披露して、急いで短冊を差し上げてあろうならば、さぞお悦びであろう。それまでは民部、そちに短冊は、きっと預けたぞ。
はああ。
さて姫が儀じゃ。一度互いに契約いたしたとなれば、送りたいものなれども、最前もお見やる通り、浅ましい病気のありさま。あれを見ては、どうも送られぬほどに、離縁して下されと、弾正立ち帰って豊秀殿へ申しておくりゃれ。変替(へんが)えするは両家のため、近頃わりないことじゃが、この婚儀は止めて貰わねばならぬわいの。
もうし、父様、そんならあの豊秀さまと、夫婦(めおと)になる事はならぬかえ。
さようでござりまする。こりゃ御尤もな料簡でござりまする。
あのほんぼんに離別するのか、はああ。ええ浅ましい、日頃願(がん)かけた神や仏はござらぬか。あなたと離別して、わしゃどうしょうぞいの。わしが離別したらば、さだめて雲の絶間さまと、睦まじゅう女夫(めおと)にならしゃんすであろう。それを思えば、腹が立つやら悲しいやら。というて又無理に女夫になろうとすれば、恥ずかしいこの病を人々に見せ、夫にも見せて、父さんの恥、御家の恥。離別すれば腹の立つ、雲の絶間さんと女夫になる。女夫になろうとすれば、大事の父様に恥を与える。こりゃまあどうしょうぞいの。
是非に及ばぬ。思い諦めたがよいわさ。
南無阿弥陀仏、
こりゃ、お前さまは、何ゆえ御生害なされまする。
これが死なないでなるものか。放して。放して。
お早まりなされて、どのお命で豊秀さまと、女夫にならっしゃりまするぞ。
さいなあ、女夫になれぬから、死ぬるのじゃわいの。
はて、悪い料簡な。わたくしが御夫婦にして、進ぜますわいの。
あの、それでも父さんが離別せねばならぬと言わしゃんすもの。
父さんがおっしゃろうが、鐘馗(しょうき)大臣がお言やろうと、わたしが呑み込んで夫婦に致しまする。時にお前さまの、この髪の毛の御病気は。
あれ悲しや。また病が起こったわいの。
ほう、お前は味な櫛笄(くしこうがい)、蝶花形をお差しなされてござりまするな。
さいなあ、今大内(おおうち)ではやると言うて、女子(おなご)どもが誂(あつら)えてくれた、銀の櫛笄の、蝶花形じゃわいのう。
なんの、これが銀でござりましょう。
さあ皆様、お姫様の御病気が起こるか起こらぬか、試して御覧じませ。
ほんに、こりゃ、なんともない。常の通りの髪じゃわいの。父さん、兄さん、民部、これを見てたも。髪が逆立ちもなんともせぬ。直ったわいのう。ええありがたいかたじけない。こりゃまあ、どうして直ったぞいの、ええ、ありがたいありがたい。
ほんに、直りました。はて、不思議な。
なんにもせよ、先ずは本復して、嬉しい嬉しい。
御快気なされたからは、相違のう御縁組みなされて下さりましょうな。
何がさて、病気平癒いたすからは、元の通り夫婦にすると、立ち帰って言うてくりゃれ。
そりゃ病気のことなれば、起こりさめもある慣(なら)い。今平癒して、後に起こるが病いの慣い、少しの間、髪が素直になったというて、粗忽に御縁談はなりますまい。
いかさま、そこもあるかいのう。
弾正聞いてたも。また父様のあんなこと言うてじゃわいの。どうぞそなたの思案で、二度と病の起こらぬようにしてたもいのう。
お気づかいなされますな。病の根を絶ってお目にかけましょう。拙者ちと医心がござりまするてや。
その療治が見たいな。
療治の匙加減(さじかげん)、只今お目にかきょう。
やっとことっちゃうんとこな。やっとことっちゃうんとこな。
さあ、療治の仕方はどうじゃ。
身どもが療治は。
この体(てい)はな。
即ちこれが病の根元根本。最前毛抜小刀の、おのれと立つは、合点の行かぬと心をつけて見るところに、只今姫君の櫛笄を見れば、悉く皆鉄の薄金を以て彫り上げたる蝶花形、察するところ、天井に磁石を仕掛け、姫君のござる方へ、こいつが天井にて磁石をさしかざす、まった鉄のせんくずを蠟ににまぜ油となし、これを用い磁石を以て鉄気(かなけ)を吸い上げさする、従って稀有(けう)の病と言い立てて、主人豊秀と縁を切り、どこぞの誰ぞの誰ぞと姫君を、添わせんとの企みと睨み据えたゆえ、一槍に突き落としたれば、案に違わず磁石のからくり。さあおのれ、何者に頼まれた。真直ぐにぬかせ。命は助けてくりょう。さあぬかさぬか。
何がさて、命さえお助けなされて下さりょうならば、申さいでなんと致しましょう。これを頼んだ人は。
こりゃ、詮議ある者を、何ゆえ殺し召された。
はて、詮議は知れておりまする。皆こいつが企み、拷問にかかりゃ切なきままに、どのように白状しょうも知れず。なりゃ、御家の騒ぎというもの。そこを存じて御家を丸う治みょうため、大家老の拙者が悪人めを成敗いたしましたが、なんと玄蕃が誤りでござるかな。
はて御家を丸う治みょうために、詮議のある科人(とがにん)を、物をも言わせず殺してしまわしゃったのでござるな。はて、よいお手廻しでござるのう。千も万もいりませぬ。短冊は出る。御家は治まる。姫君の御病気は平癒する。こなたはおまめでじっとしてござる。これほどめでたい儀はござらぬわいの。めでたいついでに、これからすぐに、姫君の御供つかまつり、立ち帰りとう存じまする。
尤もな料簡、弾正の働きで家の騒動も治まる。これほど満足なことはない。いかにも今日妹を、其方へ送りたいものなれども、今日はお果てなされた母じゃ人の御命日じゃ。なりゃ、精進日に妹が一生の堅め、めでたい婚礼の儀は心がかり。明日になったらば、礼儀を改めて、めでとう輿を入れるであろう。しかし、使者に立ち召された弾正、手を振っても戻られまい。
この一腰は仁王三郎の名作、小野家の重宝、覚えのある業物(わざもの)ゆえ、春風が不断帯刀いたし居る。これを今日縁談の印に、豊秀どのへ聟(むこ)引出物(ひきでもの)に進上申すほどに、立ち帰って、よろしく披露頼み申す。玄蕃、この一腰を弾正へ取り次ぎ召され。
どうやらこうやら、まあ、御祝言が済んでおめでとうござる。聟引出物の一腰、受け取らっしゃれ。
お志の聟引出物、たしかに受け取りましょう。この上は主人豊秀より、舅君へ頼みの印し、御祝儀を差し上げましょう。
頼みの祝儀とは。
こうでござる。
豊秀が頼みの御祝儀、御家の病の根を絶って、めでとう送りましてござりまする。
たしかに申し受けました。
しからば拙者はお暇申しましょう。
拍子幕
どうやらこうやらこの大役、今日御見物のいずれも様のお陰にて、首尾よう相勤めましてござりまする。しからばお開きと致しましょう。
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