役名
- 和尚吉三
- お坊吉三
- お嬢吉三
- 伝吉娘おとせ
序幕 大川端庚申塚(こうしんづか)の場
ゆうべ金を落とせしお方は、夜目にもしかと覚えある、装(な)りの様子は奉公人衆、さだめてお主(しゅう)の金と知り少しも早く戻したく、おおかた今宵柳原(やなぎはら)へ私を尋ねてござんしょうと拾うた金を持っていたれど、ついに尋ねてござんせぬは、もしやお主へ言いわけ無さにひょんな事でもなされはせぬか。たった一度逢うたれど心に忘れぬいとしいお方、案じるせいか胸さわざ、ああ心ならぬことじゃなあ。
あもし、はばかりながらお女中様、おたずね申したいことがござりますわいな。
はい、何でござります。
あの亀井戸のほうへはどうまいりますか、お教えなされてくださりませいな。
はい亀井戸へお出(いで)なされますなら、これから右へまっすぐに行きあたったら左へまがり、とさあ委(くわ)しゅうお教え申しても、お前様には知れますまい、どうで私の帰り道、割下水(わりげすい)まで共々におつれ申してあげましょう。
それはありがとうござりますわいな、つれてまいりし供にはぐれ、知らぬ道にただ一人怖うてなりませねば、お邪魔ではござりましょうが、どうぞおつれなされてくださりませいな。
いえもう私が家へ帰りますには、一つ道でござりますから、おやすいことでござります。
さようなればお女中さま。
こうお出なされませいな。
もしお嬢さま、お前さまはどちらでござります。
あの私ゃ本郷二丁目の、八百屋の娘で七(しち)と申しますわいな。
八百屋のお七さまとおっしゃりますか。
してお前さまのお家は、
はい私の家は割下水で、父(とと)さんの名は伝吉、わたしゃおとせと申します。
して、御生業(ごしょうばい)は。
さあ、その生業は。
何をお商売(あきない)なされますえ。
はい、お恥ずかしいが蓙(ござ)の上にて。
あの十九文屋(大道玩具屋)でござりますか。
いえ、二十四文でござります。
そんならもしや、
お察しなされませいな。
もし、なにやら落ちましたぞえ。
おお、こりゃだいじのお金、
ええお金でござりますか。
あい、しかも大(だい)まい小判で百両。
大層おあきないがござりましたな。
御冗談ばかり、ほほほ。
あれえ。
あもし、どうなされました。
いま向うの家の棟(むね)を、光り物が通りましたわいな。
そりゃおおかた人魂(ひとだま)でござりましょう。
あれえ。
なんの怖いことがござりましょう、夜生業(よしょうばい)をいたしますれば、人魂なぞは度々ゆえ怖いことはこざりませぬ、ただ世の中に怖いのは、人が怖うござります。
ほんにそうでござりますなあ。
や、こりゃ、この金を何となされます。
何ともせぬ、もらうのさ。
えええ、そんならお前は。
どろぼうさ。
え。
ほんに人が怖いの。
そればかりは。
ああ川へ落ちたか。やれ可愛そうなことをした。思いがけねえこの百両、
その百両を。
はて臆病な奴等だな、むむ、道の用心ちょうど幸い。
月も朧(おぼろ)に白魚(しらうお)の篝(かがり)も霞(かす)む春の空、つめてえ風もほろ酔いに心持よくうかうかと、浮かれ烏(からす)のただ一羽塒(ねぐら)へ帰る川端で、棹(さお)の雫(しずく)か濡手(ぬれて)で泡、思いがけなく手に入る百両、
ほんに今夜は節分か、西の海より川のなか落ちた夜鷹(よたか)は厄落とし、豆沢山(まめだくさん)に一文の銭と違って金包み、こいつあ春から延喜(えんぎ)がいいわえ。
もし姐さん、ちょっと待っておくんなせえ。
はい、なんぞ御用でござりますか。
ああ用があるから呼んだのさ。
なんの御用か存じませぬが、私も急な。
用もあろうが手間はとらさぬ、持てといったら待ってくんなせえ。
待てとあるゆえ待ちましたが、して私への御用とは。
さあ用というのは外(ほか)でもねえ、浪人ながら二腰(ふたこし)たばさむ武士が手を下げこなたへ無心、どうぞ貸してもらいたい。
女子をとらえお侍が、貸せとおっしゃるその品は、
濡手であわの百両を、
え、
見かけて頼む、貸してくだせえ。
そんなら今のようすをば、
駕(かご)にゆられてとろとろと、一ぱい機嫌の初夢に、金と聞いては見遁(みのが)せねえ、心はおなじ盗人(ぬすびと)根性、去年の暮から間が悪く五十とまとまる仕事もなく、遊びの金にも困っていたが、なるほど世間はむずかしい、友禅(ゆうぜん)入りの振袖で人柄作りのお嬢さんが追い落としとは気がつかねえ、これから見ると己なざあ五分月代(ざかいき)に着流しで、小ながい刀の落し差し、ちょっと見るから往来の人も用心するこしらえ、金にならねえも尤もだ。
それじゃあお前の用というのは、これを貸してくれろとかえ。
取らねえ昔とあきらめて、それを己に貸してくりやれ。
こりゃあ大きな当て違い、犬威しとも知らねえで大小差して居なさるゆえ、おおかた新身の胴試し、命の無心と思いのほか、お安い御用のはした金、お貸し申して上げたいが、凄みなせりふでおどされてはお気の毒だが貸しにくい、まあお断わり申しましょう。
貸されぬ金なら借りめえが、装り相応に下から出て免(ゆる)してくれとなぜ言わねえ、木咲の梅より愛橋のこぼるる娘の憎まれ口、犬威しでも大小を伊達に差しちゃあ歩かねえ、切取りなすは武士の習い、きりきり金をおいて行け。
いいや置いては行かれねえ、ほしい金なら此方より其方が下から出たがいい。素人衆には大まいの金もただ取る世渡りに、未練に惜しみはしねえけれど、こう言いかかった上からは空吹く風に逆らわぬ柳に受けちゃいられねえ、切取りなすが習いなら命とともに取んなせえ。
そりゃあ取れと言わねえでも、命も一緒にとる気だが、おぬしもさだめて名のある盗人、無縁にするも不憫なゆえ今日を立日(たちび)に七七日(なななぬか)、一本花に線香は殺したおれが手向けてやるが、その俗名を名乗って置け。
名乗れとあるなら名乗ろうが、まあ己よりは其方から、七本塔婆へ書き記すその俗名を名のるがいい。
こりゃあ己が悪かった、人の名を聞くその時はまあこっちから名乗るが礼儀、ここが綽名のお坊さん、小ゆすり衒(かた)りぶったくり、押しのきかねえ悪党も一年増しに功を積み、お坊吉三と肩書の武家お構いのごろつきだ。
そんならかねて咄に聞いた、お坊吉三はおぬしがことか。
してまたそっちの名は何と。
問われて名乗るもおこがましいが、去年の春から坊主だの、やれ悪婆のと姿を替え、憎まれ口もきいて見たが、利かぬ芥子(からし)と悪党の凄みのないのは馬鹿げたもの、そこで今度は新しく八百屋お七と名をかりて、振袖姿で稼ぐゆえお嬢吉三と名に呼ばれ、世間の狭い喰詰者さ。
おれが名前に似寄りゆえ、とうから噂に聞いていたお嬢吉三とあるからは、相手がよけりゃあ猶更に、
この百両をとられては、お嬢吉三が名折れとなり、
とらねえけりやあ負けとなり、お坊吉三が名の廃り、
たがいに名を売る身の上に、引くに引かれぬこの場の出会い、
まだ彼岸にもならねえに、蛇が見こんだ青蛙、
取る取らないは命づく、
腹が裂けても呑まにゃあおかねえ。
そんならこれをここへかけ、
虫拳(むしけん)ならぬ、
この場の勝負。
二人とも待った待った。どういうわけか知らねえが、留めにはいった、待って下せえ。
やあ、見知らぬそちがいらぬ留めだて、
怪我せぬうちに、
退(の)いた退いた。
いいや退かれぬ、二人の衆、初雷も早すぎる氷も解けぬ川端に、水にきらつく刀の稲妻、不気味な中へ飛び込むも、まだ知己にゃあならねえが顔は覚えの名うての吉三、いかに血のけが多いとて大神楽じゃああるめえし初春早々剣の舞、どっちに怪我があってもならねえ。いま一対の二人は名におう富士の大和屋に劣らぬ筑波の山崎屋、高い同士の真ん中へ背い伸をして高島屋が見かねて留めに入ったは、どうなることと最前からお女中様がお案じゆえ、まるく納めに綽名さえ坊主あがりの和尚吉三、幸い今日は節分に争う心の鬼は外、福は内輪の三人吉三、福茶の豆や梅干の遺恨の種を残さずに小粒の山椒のこの己に、厄払いめくせりふだが、さらりと預けてくんなせえ。
そんならこなたが名の高い、
吉祥院の所化あがり、
和尚吉三で、
あったるか。
そう言われると面目ない、名高いどころかほんのぴいぴい、根が吉祥院の味噌すりで弁長(べんちょう)といった小坊主さ、賽銭箱から段々と両堂金まで盗みだし、とうとう寺をだりむくり、鼠布子(ねずみぬのこ)もお仕着せの浅黄と替わり二、三度は、もっそう飯まで喰って来たが、非道な悪事をしねえゆえ、お上のお慈悲で命が助かり、こうしているが何より楽しみ、盗みの科で取らるるなら仕方もねえが己が手に命を捨てるは悪い了簡、仔細は後で聞こうから不承であろうがこの白刃、おれに預けて引いてくだせえ。
いかにも和尚が詞を立て、むこうが預ける心なら、こっちはこなたに預ける気、
そっちが預ける心なら、こっちもともども預ける気、
そんなら二人が得心(とくしん)して、
この場はこのまま、
こなたに預けて、
引いてくれるか、
いざ、
いざ、
いざいざ、いざいざ。
して二人が命をかけ、この争いはどういうわけ、
もとは根も葉もないことで、おれが盗んだその百両、
貸せというより言いがかり、ついに白刃のこの争い。
むむそんなら二人が百両を貸す貸すめえと言い募り、大切の命を捨てる気か、そいつぁ飛んだ由良之助だがまだ了簡が若い若い。ここは一番おれが裁きをつけようから、厭でもあろうがうんと言って話に乗ってくんなせえ、互いに争う百両は二つに割って五十両、お嬢も半分お坊も半分、留めに入ったおれにくんねえ、その埋草に和尚が両腕、五十両じゃあ高いものだが抜いた刀をそ のままに鞘へ納めぬおれが挨拶。両腕切って百両の額を合わせてくんなせえ。
さすがは名うての和尚吉三、両腕捨ててのこの場の裁き、
切られぬ義理も折角の、志ゆえ詞を立て、
こなたの腕を、両人もらいましたぞ。
おお遠慮に及ばぬ、切らっしゃい。
わが両腕を引いた上、二人が腕を引いたのは、
ものは当たって砕けろと、力にしてえこなたの魂、
互いに引いたこの腕の流るる血汐を汲み交わし、
兄弟分に、
なりたい、
願い。
こいつぁ面白くなって来た。じつはこっちもさっきからそう思っていたけれど、自惚らしく言われもせず、黙っていたがそっちから、頼まれたのは何より嬉しい。
そんなら二人が望みを叶え、
兄貴になってくんなさるか。
イヤならねえでどうするものだ。聞きゃあ隣りは水滸伝、役者のそろった豪傑に、しょせん及ばぬことながら、こっちも一番三国志、桃園ならぬ塀越の梅の下にて兄弟の義を結ぶとはありがてえ。
幸いここに供物の土器(かわらけ)、
これでかための血盃、
まず兄貴から、
そんなら先へ。
これでめでたくくだけて土となるまでは、
かわらぬ誓いの、
兄弟三人、
思えば不思議なこの出会、互いに姿はかわれども心はかわらぬ盗人根性、
譬えにもいう手の長い今年は庚申年(かのえさるどし)に、
庚申堂の土器(かわらけ)で義を結んだる上からは、
のちの証拠に三疋の額につけたる括(くく)り猿。
三つにわけて一つずつ、
守りへ入れて別るるとも、
末は三人繋がれて、
意馬心猿の馬の上、
浮世の人の口の端に、
こういう者があったりと、
死んだ後まで悪名は、
庚申の夜の話し草、
思えばはかない、
身の上じゃなあ。
さあ長居は恐れ二人ともに、この百両を二つにわけ、
いやその百両は二人が捨つる命を救われし、
礼というではなけれども、争う物は中よりと、
そりゃあこなたが納めてくだせえ。
いいやこれは受けられねえ、ぜひとも二人に半分ずつ、
そんなら一旦受けた上、
また改めておぬしへ、
返礼。
むむ夜がつまったにべんべんと、義埋立てするも面倒だ、いなやを言わずこの金は志ゆえ貰っておこう。
それで二人が、
心もすむ。
この返礼はまたそのうち、
思いがけねえ力が出来、
祝いにこれから、
うぬ、盗人め。
三人一座で、
義を結ぼうか。
– 拍子幕 –
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